新聞も朝鮮人虐殺を扇動した

ケータイか いや鈴虫が鳴いている 奈良県 長谷川カズオ)朝日川柳 30日

 昼は汗まみれになる暑さだが、夕方になると虫の音が聞こえてきて、秋の気配がただよう。
 節気はもう処暑(しょしょ)に入った。処とは止まるという意味だそうだ。稲穂が揺れて実りの季節でもある。
 初候は23日からで綿柎開(わたのはなしべ、ひらく)。次候の天地始粛(てんち、はじめてさむし)が28日から。9月2日からが末候、禾乃登(こくのもの、すなわちみのる)となる。しかし、台風が接近しているようで、農作物が心配だ。

都民だけファーストでやめる追悼文 (大阪府 村松則康)朝日川柳29日

 関東大震災大正12年9月1日)のときの朝鮮人虐殺についてちょっと追加で書きたい。私は取材でサハリン(樺太)に縁があり、いただいた資料のなかに当時の新聞記事が引用されていた。遠く離れた北海道の新聞の記事を紹介したい。その内容は噂をもとにした、きわめて扇情的なものだ。

 北海タイムス 大正12.9.5
【鮮人の陰謀は全国に亘る 罹災の群集は激昂して斬捨御免(きりすてごめん)の有様】

 不逞鮮人の暴動はなかなか組織的根拠があるらしい。本月二日朝鮮独立運動に関する大会を開催し御盛典の日に事を起す予定で既に横浜東京に参集して居ったのが一日の変に遭会して幸ひとして活動を開始したのである。
 二日新宿に於て鮮人が巡査を殺して其の被服帯剣を奪って着用し自動車を操縦し群衆の間を馳駆し居たのもあり運転手を拳銃で脅迫し活動して居たものがあったが皆群衆に捉へられ撲殺されてしまった。
 彼等はまた千住の陸軍製絨所本所深川の被服廠の一部に爆弾を匿蔵して置き之れを運ばんとする処を発見した。市内各所に爆音が聞え火の手の意外に早く広がったのは彼等の所為と分った。小石川砲兵工廠の爆発も彼等の行為であった。されば民衆は激昂し今は鮮人と見れば斬捨御免の状態である。

 彼等は巧みに変装して邦人に混じ各方面に向はんとして居るが四日川口でも四人の鮮人が捕った。一人は殺され他は半殺にされたが其一人の所持せる宣伝ビラで上述の陰謀が判った訳で尚ほ山形県赤湯に爆弾数百個及兇器が匿蔵して居ると自白したので直に憲兵は同道実地調査に向った。彼等の陰謀は各全国に亘り朝鮮人参其他行商人等間には脈絡相通じて居る筈で油断がならない。
 (この記事には、私の故郷の山形県赤湯に大量の爆弾が隠されていたことになっているが、事実無根に違いない。実地調査の結果も記していない)


【不逞鮮人を利根川にて銃殺 死体は今尚岸辺に横はる】(6日 宇都宮特派員)

 鮮人の警戒一層厳重となりたる為彼らは市中を逃出し遁走せんとした。各所の警戒厳重の為殆んど捕へられ若しくは銃殺された。然も四日の事八名の鮮人が在郷軍人青年団消防団の追撃を受け進退谷(きわ)まり利根川にザンブとばかり飛込み泳いで逃げんとせし折丁度架橋中の工兵隊が之を見て直ちに銃殺した。聞けば此地で約百名銃殺されたとのこと。五日午後二時死体は未だ岸辺にあった。
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 読んでいてぞっとする。「鮮人」が殺されるのを何とも思っていない書きぶりである。事実関係もウラをとっておらず、これを読んだときいい加減さにショックを受けた。樺太の新聞にも連日記事が出ており、関東以外にも朝鮮人への「警戒」はメディアによって拡散していった。朝鮮人虐殺には、明らかにメディアにも大きな責任がある。