「哲学する写真家」鬼海弘雄のインディア集大成 

 きのう今日と写真家にご縁のある日だった。

 きのう26日、日本記者クラブで「第4回山本美香記念国際ジャーナリスト賞」の受賞式とシンポジウムがあった。今回の受賞者はフォトジャーナリストの林典子さん(33)。
 イラクで、過激派組織「イスラム国」から迫害を受けているヤズディ教徒の女性を取材。その姿をつづった写真集『ヤズディの祈り』は、「危険な中、女性たちの知られざる姿を取材し、丹念に伝えている」「世界的に見ても貴重な作品」と評価された。林典子さんは「私が向き合ったヤズディ教徒1人1人の生き方とか、これからに対する思いとか、そういったものを記録として残しておきたいなと思いました」と語った。
 また、シリアで武装組織に拘束されている安田純平さんには、特別賞が贈呈された。一貫して紛争現場から情報を発信し続け、内戦の報道のために入ったシリアで2年近く拘束されている労苦に報いるためとしている。日テレNEWS24より)

 林さんがクルド取材を始めたのが2015年2月で、その成果をフジTVのMrサンデーにスタジオ出演して報告した。私がそのプロデュースをしたご縁でお付き合いしている。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20150426
 悲惨な体験をくぐり抜けてきたヤズディの女性たちを何度も訪問し一緒に暮らし、彼女らに寄り添う中で写真を切り取っている。日常の中から彼女らの思いをすくい取った写真集である。
 会場で、安田純平さんについて何か話せと私にマイクが回ってきた。新たな情報がないので困ったが、「テロリストとは接触もしない」という日本政府の異様な姿勢を指摘したうえで、冷静沈着でアラブ語もできる安田さんのことだから元気で生き延びてくれるはずだと語ってお茶を濁した。来月でもう拘束2年になる。あらためて無事を祈る。
 受賞後の林さんの話もシンポジウムも面白く、これについては、またいつか紹介したい。
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 さてきょうは、私がファンである鬼海弘雄さんの写真展「India 1979-2016」に行ってきた。http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/s1/17052601.html
鬼海さんについては、1年ほど前にその写真と文章の魅力を紹介した。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20160402
 今回はインディアシリーズの集大成。

 鬼海さんは1945年、山形県生まれ。高校を卒業し県職員として働き始めたが、「この先どんな生き方をおくるかが、もう丸見えのような気がした。それで、今までやってきた“実務”から一番遠いものは何だろうと考えていたら、哲学っていうのがあるらしいぞ」と退職して法政大学の哲学科に進む。そこで哲学者、福田定良と会ったことが人生を変えた。「考えることがいかにおもしろいか」に気付かされ、大学卒業後も就職せず、トラック運転手、職工、マグロ漁船の乗組員などしながら、自分に合った表現方法を探し、写真に行きついた。福田先生には卒業後もずっと師事し、カメラを買うお金も先生がくれたという。
 経歴からしてもう「哲学する写真家」である。

 写真集『India 1979-2016』の前書きの文章が実にいい。後半のさわりを紹介したい。
 
 今や人間はあまりにも急激な文明の進歩に、豊かさや利便さの恩恵を享受しながらも、誰もが舵の壊れた船に乗っている気分におちいっている。近未来にさえ、不安に怯え、速く浅い呼吸をしているかのようにみえる。
 三十八年間のまだらな旅は、いつも無聊を抱えての平熱のさすらいだったせいで、ある時から、懐かしさという感覚は単に一方的な懐古だけでなく、自然や身体性の記憶に裏打ちされた程のよい「未来への夢」を育む苗床かもしれないという妄想がうまれた。そうだ。懐かしい未来へ。

 もしかしたら、私の世代のような質素な暮らしを直接経験したことのない若い人たちにも、この写真集のなかの異郷の光景に、草木や黒褐色の土に感じるような懐かしさを見いだし、共振してもらえるかもしれないと願っている。
 人間は私たちが思っているよりも「意味ある存在」かもしれないというのぞみが、現在に縛り付けられて身じろぎのできない価値観を解きほぐし、過去や未来への波動を揺らすかもしれない。ゆったりとした関係性の繋がりなしでは懐かしさが生まれるはずがなく、他人(ひと)をいとおしいと思う重力の物語がはじまらないからだ。
 もしかしたら、写真が誰にでも撮れるという意味は、誰でもがもつ個人的体験や感性の鍬で、世界を耕すことが出来るかもしれないという「のぞみ」なのだろう。なぜなら、写真表現は具象を通して地べたに近い普遍性を手渡すことができる平易で唯一な方法なのだから・・・。
 ただそれは、観てくれるひとの他人(ひと)への思いやりや普遍性を夢みる想像の翼が必須で、その飛翔が「写真家の夢」を現像してくれるはずだ。

 Indiaの写真集にも、ずいぶんと長い時間がかかってしまった。たぶん、それはインドの空気をただ吸っていたいという怠惰な気分のせいでもある。それに加えて、わたしが、写真表現は現実を少しだけ人らしく理想化するフィクションの体系なのだと思っているせいでもある。

 このラディカルさは本物だな。「懐かしい未来へ」か。
 今日はギャラリートークがあった。それがまたすばらしく、鬼海さんの語りにすっかりしびれた。
(つづく)