鬼海弘雄さんを偲んで

 尊敬する写真家、鬼海弘雄(きかいひろお)さんが亡くなった。

 先月26日に、入院中の鬼海さんと電話でお話したばかりだったので、まさか、と信じられなかった。
 そのときも、「良くなったら、もう一度、東京の町の風景を撮ろうと思っています」とおっしゃっていた。

 これまでは抗がん剤治療で2週間ほどの入院を繰り返しておられたので、「こんどはいつ退院ですか」と尋ねると、「もうしばらく病院にいることになります」との答えだった。あれ、どこか具合の悪いところがあるのかなとは思ったものの、またお会いできることは疑っていなかったので、死去の報にはショックを受けている。
 
 写真集「PERSONA」などで知られる写真家の鬼海弘雄(きかい・ひろお)さんが19日午前3時33分、東京都渋谷区の病院で死去した。75歳。山形県出身。家族葬を行う。喪主は妻典子(のりこ)さん。
 法政大を卒業後、仕事を転々としながら写真を撮り始めた。東京・浅草の浅草寺境内で、無地の壁を背景に撮影した肖像写真を収めた「王たちの肖像」が日本写真協会賞新人賞と伊奈信男賞を受賞。市井の人々の内面を捉えた「PERSONA」では土門拳賞と日本写真協会賞年度賞を受けた。
 インドやトルコにたびたび出向き、写真集「INDIA」で「写真の会」賞。海外でも高く評価された。(共同)

 

 最後にお会いしたのは、今年1月の写真展「や・ちまた」のオープニングだった。

 

takase.hatenablog.jp

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ファン一人ひとりと親しく話す鬼海さん。おどけて帽子をとって、抗がん剤で毛がなくなった頭を披露したりしていた

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奥様はじめご家族もいらしてなごやかな会だった

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最後となった2ショット

 私は一ファンとして写真展で鬼海さんに知り合い、同郷(山形出身)というご縁もあって、親しくしていただいた。いろんな思い出がある。

 鬼海さんが応援する「水族館劇場」にはよくご一緒し、その帰りには鬼海さん行きつけの安い飲み屋でおもしろいお話をうかがった。一昨年の春は、高尾まで遠出してお花見も楽しんだ。

 私は人を尊敬すると、その人を立ち居振る舞いまで真似るという子どもじみた性癖がある。鬼海さんが自転車をかなり本格的に始めたと知って、すぐ自転車を買いに行った。
 私の場合は、ママチャリに毛のはえたような安い自転車だが、今では街歩きサイクリングにはまっている。これも鬼海さんのおかげといえる。

 あるとき、出張していたか仕事上のトラブルがあったかでブログを何日かサボっていたら、鬼海さんから電話があり、「このごろブログが更新されていないけど、何かあったの」と尋ねられた。このブログを毎朝チェックしていることをそのとき知って恐縮した。

 鬼海さんにもうお会いできないと思うと、ほんとうにつらく寂しい。

 このブログでは20回以上、鬼海さんについて書いているが、ここに追悼の意を込めて、あらためて鬼海さんを偲びたい。

 鬼海さんをすごいなと思ったのは、まず写真に対する求道者のような真摯な向き合い方だった。
 去年出版された『ことばを写す 鬼海弘雄対話集』(山岡淳一郎編、平凡社)は第一線で活躍する創作者、表現者たちと語り合ったもので、鬼海さんのさまざまな思考、表情が引き出されている。

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 まずは作家の池澤夏樹氏との対話から。

池澤 一人で働くのはお好きですか。一人で動くのは?

鬼海 一人、大好き。いや、旅のぜいたくは、一人で寂しく時を過ごすことでしょう。でないと、何も考えないしね。インドの撮影からずっと一人旅だった。浅草もそうですよ。一人で行って、何でこんなところに来たんだろうと思って見ると、おもしろいんですよ。人間はぼーっと退屈したとき、いろんなものがポコッ、ポコッと体の周りに浮いてくる。

池澤 あれは、浅草にいらして、ぼーっとして、おもしろそうなものが来たら釣り上げるんですか。

鬼海 そうです。だから、全然確率はよくない。写真はめったに写らない、と思ったときから徐々に写真家になっていった気がします。

池澤 でも、写真はシャッターを切れば写るでしょう?

鬼海 ええ、写りはしますが、こっちは世界のヘソをつかむような形で写したいわけだから、なかなかそうはならない。写らない。写真のよさは「説得」ではないんです。それを見てくれた人のなかに他人との関係がスーッと浸透していくことなんですね。いい写真は、1回、2回・・・と、見てもらえる。写真家は写真のなかにたくさんの糸を隠して張ってあるから、見てもらうたびにそれに触れて、ふわっと伝わる。そして、徐々に見ている人の体験のなかに値を下ろしていくんですよ。

池澤 なるほど。

鬼海 写真家がいちばん信頼しているのは見てくれる人なんですよね。私の場合は、写真集の読者や写真展に来てくれる人だけでなく、他人もそこに入る。他人とちょっとだけしあわせな関係をつくりたい。写真は誰でも撮れると思います。シャッターを切れば写るというのではなく、誰もが自分の体験をふり返って、もう1回、人について考えたり、感じたりすることができるという意味で誰にでも撮れます。しかし欲深く、表現として練り上げようとすると、簡単には写らない。

池澤 うん、うん。

鬼海 ただ、私は生まれた醍醐村の子ども時代の生活の記憶がべったりあるから、抽象的にはいかないんです。相変わらず村を引きずって、インドでもアナトリアでも、村の見知った世界につながっている。

池澤 村の暮らしね。基本はお互い知っている人たちでしょう。

鬼海 ええ、そう。写真で食えなくていろんな肉体労働をしました。撮るための手段として労働してたと思っていたけど、とんでもない。あれは私にとって、いいレッスンでした。浅草に行っても、肉体労働をしている人はぷんぷんにおう。それで他人事ではないところから始まるから、ああいう人たちに心ひかれて撮れる。

池澤 それはもう、村で長く知っている人と同じような関係にスッとなっているんじゃないですか。

鬼海 でないと撮れません。単に変わった人には全然興味がなくて、この人を見れば人間を考えられる、感じられるな、という人を撮ります。苦労してんね、もうちょっとしあわせになれないかな、という感じかな。常に具体的で、かつ普遍的なものを探しています。いつも地べたを這ってなくちゃならないから、困ったもんですねどね。

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 「具体的で普遍的なもの」を写す鬼海さんの写真は、時間を超えていく。

 作家の田口ランディ氏との対話では―

 

鬼海 労働といえば、工事現場で交通整理をしている人って、いい顔をしてるんだよね。何してきたの?って聞きたくなる。水が流れやすいように生きてきたんだろうな。いい顔しています。木の枝のように曲がっていようが、なんだろうが、いいんです。

田口 単純労働をくり返している人って、なぜかカッコいいんですよ。

鬼海 それは、たぶん自分は特別な人間じゃないって思っているからだよね。

田口 こないだ札幌駅前の大通りで、オオーッという人に会いました。靴磨きのおばあちゃん。高層ビルの前で観光客やサラリーマンが通行しているんだけど、その人の周りは違う空間でした。動きに無駄がなくて、テキパキしている。全身全霊で自分を表現しながら働いている人って元気をくれる。ふなっしーもそう(笑)。生きていることがアートです。

鬼海 他人に対してコミュニケーションがうまい。楽しさが伝わってくる。

田口 基本的に自分が好きなんだろうな。

鬼海 自分を好きになれたら他人(ひと)も少し好きになれるからね。

田口 浅草の肖像写真を見ていると、一人ひとりの短編小説が書けそう。プロフィルとか勝手に浮かんじゃう。その人がどんな家に住んで、どんな家族構成で、いかに人生を過ごしてきたかが浮かんでくる。その人のコンプレックスなんかも手触りとしてわかる。圧巻ですね。その人物の背後が写っているからでしょうね。

鬼海 私の写真はその人のコピーじゃなくて、現実なんか関係ないわけです。その人をめくると、100年先でも200年前でも人類はおもしろいだろう、と提示できるような形で撮りたい。めくられる人は自身の自由を持っていて大衆のためになんて全然思ってない。そこも大事です。実際には「いま」を撮るんだけど、「いま」を超えたい。レンズは愚直だから、それができそうな気がします。

田口 レンズが愚直?

鬼海 そのまま写るでしょ。シャツの汚れとか、首から肩の微妙なラインとか、そういったものが、すごく饒舌に語ります。文章とは違うレンズとフィルムの関係が語るんです。それが魅力なんだよね。人が大脳皮質で考えたものを超えられる何かがある。

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 鬼海さんの写真は100年先の人類にも「おもしろい」と思ってもらえるはずだ。

 ご冥福を心よりお祈りします。
(つづく) 

 なお、鬼海さんの作品の一部は、オフィシャルサイトのギャラリーでご覧になれます。

hiroh-kikai.jimdofree.com