鬼海弘雄さんを偲んで3

 中国の映像チームがつくった鬼海弘雄さんの紹介動画。鬼海さんは中国でも注目され、写真展も開かれている。 
 動画は鬼海さん自身が解説していてよくまとまっている。「情熱大陸」の映像も一部見られる。

www.facebook.com


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 鬼海弘雄さんが亡くなった翌日、『朝日新聞』の訃報欄を見た。記事のなんと小さいこと!

 顔写真もなかった。これが世間の評価なのか。

 それはないだろ!どこかのメディアに何か出ていないのか・・
 ネットで鬼海さんの名を入れて検索すると、出てきたのが、同じ法政大卒業で、やはり東北出身の菅義偉首相と「生い立ちが酷似している」として鬼海さんが登場する、少し前の記事だった。
 
 《菅氏は1948年、秋田県の山深い農村に生まれた。「東京で自分の力を試してみたい」と農家を継がず、67年に高校を卒業すると、東京都板橋区の段ボール工場に就職。東京・市ケ谷に校舎がある法政大法学部政治学科に入学したのは、東京大安田講堂事件があった69年だ。
 土門拳賞を受賞した写真家の鬼海弘雄さん(75)は生い立ちが菅氏に酷似している。現在の山形県寒河江市に育ち、高卒後に県庁に就職するも1年で退職して上京。法政大文学部哲学科に進んだ。卒業したのは、菅氏が入学した69年だ。その後、「人間を知るため」にトラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組員などを経て写真家になった。
 「私の家は早くからサクランボ栽培に着手し、まずまず成功した農家。親父(おやじ)は村議や市議を務めました。私は8人きょうだいの末っ子で、姉は山形大を出て教員になりました。菅さんと境遇が似てますね」
 菅氏の生家はイチゴ農家。父親は町議を務め、姉は高校教諭になった。》

 ここまでは、菅首相のヨイショ記事に鬼海さんを引っ張り出すとは何事か、と憤慨しながら読んだのだが、次で思わず笑ってしまった。

 《「菅さんは誰とでもスッとなじめるようですね。東北人は不器用だから、そういうタイプはめったにいません。政治家はどこかで夢を語らねば成り立たたない職業だと思いますが、今まで菅さんは、そんな場面を見せなかったですね。彼には法政出身者のにおいも、東北のにおいもしません」(鬼海さん)

http://mainichibooks.com/sundaymainichi/society/2020/10/04/post-2591.html 

 さすが鬼海さん!おせじも忖度も一切ない。
 この記事、『毎日新聞』が9月25日早朝にデジタル配信しているから、取材はたぶん9月23日か24日あたり。体調も良くなかっただろうに、私とは一緒にしないでくれ!とばかりに菅首相をばっさり切り捨てている。

 鬼海さんは社会問題にも大きな関心を持っていた。私がこのブログでよく政治を取り上げることもあり、世を憂うる会話をひんぱんに交わした。

 ある日、鬼海さんからの電話をとると、開口一番「ひっどいねー。なんで人間があんなに醜くなれるんだ!」と憤慨している。
 自民党杉田水脈衆院議員らが、安倍首相御用達ジャーナリストにレイプされた伊藤詩織さんを「枕営業失敗」などと嘲笑し、女性の側に落ち度がある、詩織さんはウソをついているなどとコメントしたことを紹介した私のブログへの反応だった。

takase.hatenablog.jp

 格差や不平等、弱い立場のものをいじめたり、笑ったり、差別したりすることには本気で怒っていた。

 エッセイ集『誰もを少し好きになる日』には、心身に障害をもつ人や生活が破綻してしまった故郷の人が何人も登場する。

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 川向こうのいさばや(魚屋)の息子で軽い精神遅滞がある「たっちゃ」、都会で体を壊し帰郷して自死した幼なじみの忠男、町のスナックのママに入れあげサラ金で身を持ち崩して行方不明になった同級生の勝利・・・
 鬼海さんはそれぞれの悲しい物語を、やさしく見守るようなまなざしで描いている。効率や生産性だけで人間を測る近代文明に疑問符を投げかける鬼海さんの感性を育んだのは故郷、醍醐村の子ども時代だったのだろう。
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 おととしの夏、山形の実家に帰省したついでに、鬼海さんの故郷に立ち寄った。ほんの数時間だったが、そのときの写真を紹介したい。

 醍醐村は今は寒河江市の一部になっている。寒河江は難読地名の一つで「さがえ」と読む。山形駅から左沢線―これも難読で「あてらざわ」線―に乗り30分弱で寒河江駅につく。

 寒河江は山形のなかでもサクランボ(私たちは桜桃=おうとうと呼ぶが)の本場で、毎年、さくらんぼマラソン大会も開かれている。
 鬼海さん自身、サクランボには縁があり、よく「私が大学に行けたの、うちの親父が桜桃栽培に早く乗り出して成功したからなんだよ」と言っていた。

 醍醐村といえば、慈恩寺がすばらしい。山形県を代表する名刹で、創建は平安後期。48坊からなる一山組織の寺院だったという。
 鬼海さんの実家は近くだったから、子ども時代はこの境内でも遊んだことだろう。

www.honzan-jionji.jp

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千住真理子のコンサートを境内で準備していた

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建物の多くが重要文化財

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 お寺の近くを歩いていると一面ハスの池があった。いい雰囲気の村落である。

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 寒河江では、佐藤繊維もぜひ訪れてほしい。

https://satoseni.com/

 世界で注目される紡績・ニットメーカーで、オバマ米大統領の就任式でミシェル夫人が着たカーディガンの素材の極細のモヘア糸を提供したことで知られる。豊かな品ぞろえの売店のほか、レストランGEA 0053(ギア ゼロゼロゴーサン)もある。

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酒蔵を改造した建物

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すてきなディスプレイの売店

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昔の機械が製品の置き台になっている

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高い天井のレストラン


 鬼海さんお勧めの「皿谷(さらや)食堂」。

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Facebookより

 山形はラーメン消費量日本一。ここも蕎麦屋なのだが、お客はほとんどラーメンを注文する。皿谷食堂の名物は「ちゃー牛(ぎゅう)麺」という山形牛のチャーシュー麺。うまかった。

 きょうはすっかり寒河江の観光ガイドになってしまった。
 とてもいいところで、次回は泊りがけで慈恩寺周辺をゆっくり見て回りたい。
(つづく)