鬼海弘雄さんを偲んで2

 多摩川の土手にあるサイクリングロード。

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きょう鬼海さんを偲んで自転車で行ってきた

 セイタカアワダチソウの群生が夕陽に金色に染まっていた。
 鬼海弘雄さんは、体調を崩す前、ここでよく自転車をこいでいた。

 鬼海さんは」数年前、お知り合いから自転車、それも本格的なスポーツサイクルを「私はもう乗らないから」とタダで譲られ、じゃあ乗ってみるかと始めたと聞く。

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後述の遠山健さんのブログより


 それを知ったのは、2017年9月の「森本喜久男を称える会」でのことだった。
 私はその会で森本さんの思い出話をすることになっていて、鬼海さんをお誘いした。鬼海さんが森本さんを「すごい人だね」と評していたからだ。

 鬼海さんが会場に着くと、友人の原直史さんが自転車でやってきた。小原さんはブルベという自転車の長距離競技の常連で、都内のイベントなら自転車でかけつける。写真にも詳しく、もちろん鬼海さんを知っていた。
 鬼海さんが小原さんの自転車を見て「いい自転車だね」とまたがり、会場前の道路をさっそうと乗り回した。
 鬼海さんが自転車はおもしろいよ、と楽しげに語るのを聞き、感化された私は自転車(安いクロスバイク)とヘルメットを衝動買いしたのだった。

takase.hatenablog.jp

 鬼海さんと小原さんの出会いから、また新たなご縁につながる。
 小原さんが行きつけの自転車専門店「狸サイクル」を鬼海さんに紹介。その店主、遠山健さんがまたタダモノではなく、鬼海さんと意気投合。
 遠山さんは鬼海さんを「師」と呼び、鬼海さんは遠山さんに「あんたの目を信用しているんで、次出す写真集の表紙に何がいいか、選んでくれないか」と言うまでの間柄になる。

tanukicycle.blog75.fc2.com

 

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鬼海さんは自転車乗りのスタイルもカッコよく決めていた。狸サイクルの遠山さんと(小原さん撮影)

 狸サイクルの2階はライブもできる広いスぺ―スになっていて、小原さんが西表島から取り寄せた琉球イノシシの肉で宴会を開き、鬼海さんと一晩ともに楽しんだ。忘れられない思い出である。

 鬼海さんが遠山さんと波長が合ったのは、ともに哲学の徒だったこともあるだろう。遠山さんは上のブログに書いているように、フォイエルバッハや梅本克己を極めようとしていたし、鬼海さんは人生の師が哲学者の福田定良先生で、大学を卒業してからも個人授業でヘーゲル『小論理学』を学んでいたという。
 鬼海さんの「具体的なものが普遍的なものになる」という普遍への強い志向性は、いかにもヘーゲルという感じだ。

 浅草の人間、インドの人間を撮るのではなく、「人間の普遍を撮る」という鬼海さんがもっとも喜んだのは、浅草のポートレイトを観たポーランドアンジェイ・ワイダ監督の「日本人はポーランド人と同じだね」ということばだったそうだ。

 《何十年も同じことを続けているのに一向に飽きないのは、人間の森の深さが持つおかしさと不思議さなのだろう。
 長い間続けているのに、人物を選ぶ基準はいまでも自分でよく分からない。あえて言葉にすれば、ポートレートを観る人たちが、普段持っている人間に対しての堅くなりがちな情とイメージを揉み解し、豊かなひろがりをもたらしてくれる人物と思っている。こだまのような波動が、生きることを少しだけ楽しくしてくれるからだ。
 ますます功利に傾斜しがちな現代社会では、他人(ひと)に思いを馳せることが、生きることを確かめ人生を楽しむコツだと思っている。そのことによって、誰もが、他人にも自分にさえもやさしくなることができるかもしれないという妄想を持っている。》(『PERSONA最終章』より)

 「ますます功利に傾斜しがちな現代社会」への拒否感は、石牟礼道子氏の近代文明批判に通じるものがある。それが鬼海さんの言う「懐かしい未来」へとつながっていく。

 「懐かしい未来」は鬼海さんの好きなキャッチフレーズだ。

 写真集『India 1979-2016』の前書き、後半のさわりにはこうある。
 
 今や人間はあまりにも急激な文明の進歩に、豊かさや利便さの恩恵を享受しながらも、誰もが舵の壊れた船に乗っている気分におちいっている。近未来にさえ、不安に怯え、速く浅い呼吸をしているかのようにみえる。
 三十八年間のまだらな旅は、いつも無聊を抱えての平熱のさすらいだったせいで、ある時から、懐かしさという感覚は単に一方的な懐古だけでなく、自然や身体性の記憶に裏打ちされた程のよい「未来への夢」を育む苗床かもしれないという妄想がうまれた。そうだ。懐かしい未来へ。

 もしかしたら、私の世代のような質素な暮らしを直接経験したことのない若い人たちにも、この写真集のなかの異郷の光景に、草木や黒褐色の土に感じるような懐かしさを見いだし、共振してもらえるかもしれないと願っている。
 人間は私たちが思っているよりも「意味ある存在」かもしれないというのぞみが、現在に縛り付けられて身じろぎのできない価値観を解きほぐし、過去や未来への波動を揺らすかもしれない。ゆったりとした関係性の繋がりなしでは懐かしさが生まれるはずがなく、他人(ひと)をいとおしいと思う重力の物語がはじまらないからだ。

 「哲学する写真家」といわれるだけあって、鬼海さんの話はときどき理解が追い付かないことがあるが、鬼海さんのエッセイはわかりやすい。

 『誰をも少し好きになる日』(文藝春秋、2015年)という鬼海さんのエッセイ集がある
 故郷の醍醐村や浅草からインドへ、現在から子どもの頃の思い出へと、空間も時間も縦横にたゆたっていく気持ちのいい文章が満載の本だ。

 そのなかに、台湾のある終着駅で夕食をとりに街に出る話がある。そこに「懐かしい未来」が登場する。

・・・

 食べ物屋が並ぶ界隈を何度も往復した。昔ながらの気さくな食い物箭が並ぶ通りにも、今風の洒落たガラス張りのスパゲティー屋やステーキ屋などがちらほら出来始めている。洒落た店に二の足を踏んでしまうのは旅先でも同じだ。結局、路地外れの舗道と店の仕切りのないありふれた飯屋に入った。舗道に出されたテーブルでは、サンダル履きの近所の歳の離れた男たちが鍋をつつき、紹興酒を呑みながら大声で談笑していた。

 白いタイルが壁に張られた店内には丸いテーブルが三脚置かれていて、その真ん中の席に座り、豚の耳、空心菜炒め、煮卵とビールを頼んだ。

 赤い文字で格言が書かれた大きな日めくり暦が掛かる奥の席には日用品が並んでいて、そこが飯屋家族のテーブルだとすぐに分かった。パジャマを着て髪にカチューシャをした十歳ほどの女の子が教科書で勉強をしている。換気扇がヘリコプターのような音を立てる厨房では、黄色いTシャツを汗で濡らした父親が中華鍋をリズミカルに煽(あお)っていて、太った猪首(いくび)に金のネックレスが埋まっていた。入り口の席では若夫婦の客がビールを飲んでいる。金色の前髪をカールしている母親は、乳母車に乗せた男の子の頬に屈んではキスを繰り返し、金のブレスレットをした茶髪の夫はスマートフォンのゲームに熱中している。いつの間にか、男の数が増えた路上のテーブルからは、笑い声とパイプ椅子が舗石で軋む音が届いてくる。

 店内の客の数にしては厨房が忙しいのは、通りがかりの人が料理を頼み、紙の箱に入れて持ち帰りをしているせいだ。しばらくすると、二階の住まいから婆さんと嫁さんが降りてきた。爺さんが息子に代わって厨房に立つと、婆さんへの特別料理を作り、それを食べ終えた婆さんが今度は、爺さんと息子夫婦の分を作り始めた。婆さんの両膝には頑丈にサポーターが捲かれていて、ゆっくりと体重移動をしながら中華鍋を扱う。その動きから察するに、長年膝を患っているのだろう。

 髪を七三に分けた爺さんは猫舌なのか野菜スープをふ~ふ~と息を吹きかけてゆっくりと啜(すす)る。食事中に孫娘に勉強のことを訊かれると、冷蔵庫の上から分厚い百科事典を取り出してきて、婆さんと額を寄せあって調べ始めた。

 若夫婦が勘定を払うと、爺さんは受け取った札を輪ゴムで括ってあった札束に加えて、ファスナーつきの尻のポケットにしまった。酒の酔いもあって、懐かしい昭和の時代に戻ったような気がした。歳のせいだろうか、その懐かしさは単なるノスタルジーだけでなく、未来に繋がってくれればとの願いも生まれてきて、その夜は、いつもより少しだけ人を好きになれるようないい気分になって店を出た。どこからか歌詞の無い「南国土佐を後にして」の曲が流れていた。(P116~118)

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 ああ、こういうのっていいなと私も思う。

 鬼海さんの観察眼の確かさ、すべてを受け入れるやさしさも感じさせる文章だ。
(つづく)