まことの心を歌え

takase222014-07-22

日朝合意にもとづく「調査」は、北朝鮮にいる「すべての日本人」を対象にし、その中には、いわゆる帰還事業で北朝鮮に送られた在日朝鮮人の日本人配偶者たちも含まれている。
土曜日、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の学習会で、「私の出会った日本人妻たち」と題する脱北者の講演があったので聴きに行った。
希望に燃えて北朝鮮に渡った在日朝鮮人たち(帰国者)は、期待に反して、資本主義社会から来た要警戒人物として差別され苦労を強いられるのだが、彼ら帰国者から見ても日本人妻はかわいそうだったという。
この日講演した榊原さんは、ある日本人妻の悲しい運命を語りながら声を詰まらせていた。講演内容が以下のサイトに載っているので、関心のある方はどうぞ。
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01097

一方、榊原さんはこうも言っている。
《ある時期は、北朝鮮政府でも、日本人妻たちに一定の配慮があった時期もあったんです。配給が途絶えても、日本人妻たちにはほんのわずかでも現金が支給されたこともあったし、配給を特別にくれたことがありました。》
日本人妻への待遇が急に良くなったときがあったというのだ。
これは、1990年9月の金丸訪朝団のあと日朝正常化予備会談が始まるが、そのころのことだ。北朝鮮は、日朝正常化への大事なカードとみて、日本人妻を優遇する政策に転じたのだ。
ここから、あらためて「調査」などしなくとも日本人妻の消息は(拉致被害者はもちろん)すべて把握されているし、現在も優遇策が採られているだろうということが想像できる。
脱北者の情報には、北朝鮮の内情を理解するいろんなヒントがある。
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さて、先日の与謝野晶子の話のつづき。

「君死にたまふことなかれ」を発表すると、すぐに、親交深かった詩人、大町桂月が、「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と激しく非難した。当時はむしろこれが普通の反応だったという
これに対し、晶子は夫への手紙という体裁をとった手紙「ひらきぶみ」で反論している。
その一部を私訳すると;

桂月さまは、私の歌を、たいそう危険な思想だとおっしゃるが、当節のように、「死ね、死ね」と言ったり、何事にも「忠君愛国」などの文字や、畏れ多い「教育勅語」などを引用して論じることが流行ることの方が、かえって危険というものではないでしょうか。
私の好きな王朝文学にも、いくさを多く書いている源平時代の本にも、今のように、やたらと人を死ねということは書かれていないと思いますが、いかがでしょうか。
歌は歌です。歌をならった者であるからには、後世の人に笑われない、まことの心を歌いおきたいと思います。まことの心を歌わぬ歌に、何の値打ちがありましょうか。まことの歌や文章を作らない人に、何の見どころがありましょうか。
(桂月さまが)新橋、渋谷の駅などで出征のある日、一時間でもお立ちになったら、見送りの親兄弟や友人親類が、行く子の手を握って、口々に「無事で帰れ、気をつけよ」と言い、大声で「万歳」とも言うことは、耳と目に必ずとまるはずです。渋谷駅では、巡査も神主も村長もうちの親戚もそう言いました。そう言うことは悪いことですか。私思いますに、「無事で帰れ、気をつけよ、万歳」と言うことは、結局、私の歌の「君死にたまふことなかれ」と言うことになるのではありませんか。それも、これもまことの声。
私はまことの心をまことの声に出だし候とより外に、歌のよみかた心得ず候

人権弁護士として知られる梓澤和幸氏の『リーガルマインド』(リベルタ出版)という本で晶子のことが紹介されていて、興味をひかれ晶子を読んでみたのだが、「まことの心うたはぬ歌に、何の値打ちか候べき」と言い切る晶子に尊敬の念を抱いた。
この姿勢は、歌人のみならず、研究者やジャーナリスト、政治家、何らかの表現行為をするものみなが見習うべきものではないか。

梓澤氏はこう読み込んでいる。
才能に恵まれた芸術家は自分の命の危険など忘れて、言葉をほとばしらせてしまうのである。そういう使命を負っているのである。
空気を恐れるな。一歩を踏み出せ。100年の時を越えて歌人は私たちの胸の奥深くを揺さぶる。