藤沢周平の小説にある倫理観を

 6日の日記で、渡辺京二のインタビューの引用をして「つづく」で終わっていた。
 その続き。

Q:人が生きて行くうえで大事なことは?

どんな女に出会ったか、どんな友に出会ったか、どんな仲間とメシを食ってきたか。これが一番です。そこでどんな関係を構築できるか。自分が何を得て、どんな人間になっていけるか。そこに人間の一生の意味、生の実質がある。本来、生きていることが喜びであるべきなのです。日本がGDPで世界2位か20位かは関係ないんです。》

どんな社会を構築していくべきか。そのヒントが江戸時代にあります。皆が1日5時間働いて、ほどほどの暮らしができないかとか、労働自体の中に楽しみがあり、仲間との絆が生まれる働き方ができないかとか。もちろん直接の応用はできませんよ。経済も社会も大きく変わっていますから。でも、社会に幸福感を広げるにはどこを目指せばいいのか、その手がかりはある。》

《就職難で『僕は社会から必要とされていない』と感じる若者がいるらしいねえ。でも、人は社会から認められ、許されて生きるものではない。そもそも社会なんて矛盾だらけで、そんな立派なものじゃない。社会がどうあろうと、自分は生きたいし生きてみせる、という意地を持ってほしいなあ

《「自己実現」という言葉に振り回されている気もしますね。それは、ただの出世の話でしょ。社会規範にうまく適合し、基準を上手にマスターし、高度資本主義に認められたステータスに到達したというだけのこと。自分の個性に従って生きれば誰しも自己は実現されるんです。あんなものには惑わされない、しっかりとした倫理観と堅実な生活感覚をもった民衆像が日本にはあるんです。藤沢周平の小説にみられるような豊かな庶民生活の伝統が

《僕は小学4年から今の高校1年まで旧満州の大連で育ったの。戦後、着の身着のままで熊本に引き揚げてきて、バラックの六畳間に7人暮らし。17歳で共産党に入り、結核にもかかって、まともな就職なんかできなかった。それでも僕は生き延びてみせると思ったし、生き延びてきた。ソ連の戦車がハンガリーの街頭で民衆に砲口を向けた時点で、党とはさっぱりと切れましたが》

 そうか、渡辺京二は、ハンガリー事件で共産党をやめたのか・・。
 藤沢周平を読んでてしみじみ「いいなあ」と思わされる核心を、この国の「豊かな庶民生活の伝統」という表現でまとめていることに感心する。

《人は何のために生きるのかと考えると、何か大きな存在、意義あるものにつながりたくなります。ただ、それは下手するとナチズムや共産主義のように、ある大義のために人間を犠牲にしてしまう危険がある。人間の命を燃料にして前に進むものはいけません。その失敗は、歴史がすでに証明しています》

Q:若い世代にアドバイスを。

《人と人の間で何かを作り出すことですよ。自分を超えた国家の力はどうしても働いてくるんだけど、なるべくそれに左右されず、依存もしない。自分がキープできる範囲の世界で、自分の仲間と豊かで楽しい世界を作っていく。みんなで集まって芝居を作ってもいい。ささやかに食っていける会社を10人ぐらいで立ち上げてもいい。僕も熊本でずっと、仲間と文学雑誌をつくっては壊し、つくっては壊ししてきたんです》

《ただ、基礎的な社会にだけ生きて国家のことは俺は知らないよ、ということはできない。国民国家のなかに僕らは仮住まいしていて、大家には義理がありますから。だけど、それはあくまでも義理。義理は果たさねばならないが、本心は別のところに置いておきたいものです》