怨憎会苦の克服

takase222013-05-01

 法事で山形に一泊で帰った。
 母方の祖父の50回忌と伯父の17回忌で、久しぶりで一族が大勢集まり、長いことご無沙汰していた甥に子どもができたりしていて、初めて会う親戚が6人もいた。
 私の生まれは母の実家のある高畠町だ。当時は、第一子は母親の実家で産婆さんを呼んで産むのが一般的だった。
 親戚と一緒に墓参りをした。昔は、お墓や仏像にお参りすることなど、迷信と同様、一段劣った行為だとバカにしていたが、最近は自然に手を合わせられるようになった。ご先祖さまがいてこそ今の我々がいるのだな、おかげさまだな、と思うからだ。

 帰りに、赤湯温泉の「あんびん」をお土産にもらった。おお、なつかしい。東京でいう大福である。
 「あんびん」は「餡餅」と書くのか。有名なのが写真の田中屋で、烏帽子山公園の上り口の近くにある。売り切れたらお終い。餅がふわふわと柔らかく、実にうまい。私は知らなかったが、お土産として人気だそうだ。山形方面に行く人がいたらこんどぜひ「あんびん」を試してください。
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 このところ、思うようにいかない事態が続き、けっこう苦しい時期に入っている。

 大企業ではないけれど、仕事柄いろんな人とお付き合いがあり、対人関係でトラブルになることも多い。どうやって納得してめげずに生きられるか考えざるをえない。何度も窮地を繰り返してくると、自分なりの一定のパターンができてくる。
 まず、「四苦八苦」に「怨憎会苦(おんぞうえく)」があることを思い出す。誰もこの世では、嫌な人と会わざるをえない、気の合わない人と暮らさざるをえないという「苦」である。人はみな昔からそうなのだと考えるようにする。これで、ぐっと楽になる。
 次に、マルクス・アウレリウスの言葉、例えば「あらゆる出来事は、春の薔薇、夏の果実のように、日常的なことであり、なじみ深いことだ。病、死、中傷、謀反といった、愚かな者を喜ばせたり悲しませたりする事柄も、すべて同じようなものだ」(4・44)を思う。
 思い通りにいかないこと、例えば死ですらも、ありふれた「なじみ深い」ものだと納得しながら生きようというわけだ。これも効果がある。

 第三に、超マクロな歴史的な見方で「みな親戚だ」と考える。
 人類、700万年前アフリカに発祥して広がったのだから、それだけですでに人類みな親戚なのだが、極東特にこの日本列島で生まれ育ったものたちは極めて近い親戚同士のはずだ。だから自分に対して都合の悪いことをする人も、みな親戚なのだ。こう思うと(これは事実だし)けっこう他人を許せるものだ。「あいつも親戚なんだよな」と。

 最後に、六波羅蜜(ろくはらみつ)の「忍辱」(にんにく)波羅蜜―耐え忍ぶの修行だと思う。ああ、これもトレーニングなんだな、と。
いい修行させてもらっています。