39回目の「水仙忌」

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山崎禅雄師の名物法話


 1月30日は民俗学者宮本常一の命日で、「水仙忌」という法要が毎年執り行われる。場所は西国分寺駅に近い東福寺府中市に住んでいた宮本先生の葬儀がここで行なわれたご縁である。
 宮本先生は1981年1月30日に亡くなり、今年は39回忌となる。死後これほど経ってなお、毎年、先生を慕って多くの人が集うというのは大変なことだ。もっとしっかり先生の業績を勉強しなくては。
 読経、焼香のあとは、法要を締めくくる山崎禅雄さんの法話だ。山崎さんは若いころ宮本先生の薫陶を受け、宮本先生が所長だった「日本観光文化研究所」(観文研)が発行する『あるく みる きく』の編集長をつとめた。現在は島根県曹洞宗のお寺の住職だそうだ。
 この山崎さんの法話が楽しく、これを楽しみにしている常連も多い。
 いつもNHKのドラマなどが話のマクラになるが、今年は、朝の連ドラの『半分、青い。』だった。これがなかなか意味深である。
 「青い」というのは未熟という意味で、みな人は未熟である。半分というのを考えてみると、人が半分と書いて伴(とも)と読む。糸偏に半分で絆(きずな)である。世の中は未熟な自分ひとりではやっていけない。もう半分を補い助け合いながら生きていこうではないか。ざっとこんなお話を、まるで落語家のような絶妙な間合いで語るから思わずみな話に引き込まれていく。

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 法要の後は懇親会で、世代の違いを越えて語り合う。高齢になりながら、各地でユニークな地域おこしや伝統文化を継承する活動を続けている元気な方々に会うと、元気づけられる。
 私のつれあいは若いころ『あるく みる きく』の事務局で働いていて、当時の編集長が山崎さんだったそうだ。毎年この日に当時の知り合いと会うのを楽しみにしている。会場の東福寺がうちの近くだということもあり、私も顔を出すようになった。

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遺影の宮本常一先生、いい笑顔だ


 この水仙忌だが、少しづつ参加者が増えている気がする。今年は50人超の人が集まった。年配者が少しづつ消えていく代わりに、若い人たちが加わって代謝しているように見える。ある若い人に声をかけると大学生だった。宮本先生の本の愛読者で、長野からわざわざ水仙忌に泊りがけでやってきたという。
 この日のために四国から送られてきた水仙がたくさん飾られた。
 おすそ分けでいただいた一株が食卓のそばでいい香りを漂わせている。