恐るべき処刑の真相―ABSDFスパイ粛清事件⑤

takase222013-04-27

 多くの部下とともに「スパイ」として拘束されたABSDF(全ビルマ学生民主戦線)北ビルマ支部議長トゥンアウンジョーは、仲間の罪(ウソの自白)を背負って激しい拷問の末、集団処刑で命を落とした。

 殺される前、彼は親しい部下たちに遺言をのこしていた
 「私が殺されるのは間違いない。君はきっと生き残ってここを出る事ができる。その時は、ここで起きたことを正確に伝えて、私とすべての仲間の名誉を回復してくれ。そして、次世代にこの過ちを繰り返さないよう伝えてくれ。」

 処刑当日、朝から護衛兵たちが完全武装で緊張した雰囲気だった。
 「スパイ」が拘束されていた小屋に護衛兵を連れた幹部らが入ってきて、15人の名前を読み上げた。彼らは旗のポールの前に並ばされ、幹部の一人が、死刑判決を読み上げた。そこから護衛兵に囲まれ、2列縦隊で丘を目指した。「アッサムの丘」と呼ばれ、これまでも何人かを処刑した場所だった。
 丘のてっぺんに着くと、7人、7人、1人と三つのグループに分けられた。1人は、15人中唯一の女性、キンチョーウー(25)だった。みなチェーンをはずされ、自分たちが埋められる穴を掘らされた。大きな穴が二つとキンチョーウーのための小さな穴が一つ、計三つの穴ができた。

 そこでふたたび目隠しされ、穴の淵に膝まづかされた
 トゥンアウンジョーミョーウィン(Myo Win 写真右端)と何かを話していた。銃でひとおもいに殺してくれといい、ミューウィンが彼の頭を撃った。

 他はみな、刀で斬首されたうまくスパッと切れないときは、息をあえいで苦しがっていたが、護衛兵が鍬を振り下ろしてとどめをさした
 キンチョーウーは裸にされた。やめてくださいと泣く彼女を兵隊三人がかりで無理やり服を脱がせ、膝まづかせた。彼女は「銃殺して」と懇願し、ミューウィンが額を打ち抜いた。若い兵士らが、死体を触るなどしてもてあそんだ。
 穴に落とした死体に土をかぶせ、足で踏んで、処刑は終わった
 彼らの亡骸は、今もアッサムの丘に埋められたままだ

 これが、15人の集団処刑に立ち会ったある護衛兵の証言のあらましである。この人物は、これまで処刑について一度も他人に話したことはなかったという。初めて明かされる処刑の一部始終を聞きながら、私はうまく息ができないほど緊張した。

 テレメンタリーで、彼の証言を全く紹介できなかったのは残念だ。
 なお、私はこのあと、キンチョーウーの実家を訪問し、父親の話を聞いた。父親が、娘の最期の詳しい様子を知ったのは、去年だった。それを聞いたとき、父親は気絶して病院に運ばれ、以来、心臓を悪くして二回入院したという。一番可愛がっていた愛娘だった。父親は当時のABSDF指導部を殺人罪で訴えており、裁判はまもなく始まるという。

 結局、あの事件は「スパイ事件」などではなく、学生戦線の中での権力争いからくる陰惨な粛清であり、同志殺しだった

 92年2月12日の15人の集団処刑から3ヶ月ほどたって、「スパイ容疑者」55人が集団脱走して「スパイ」騒ぎは実質終了する。
 長い人は一年近く、シラミだらけで不衛生な拘禁小屋に押し込められ、拷問を受け、強制労働を強いられた。彼らはいまどうしているのか。私は「元スパイ」たちをたずねた。

 きっと「もう民主化運動なんかこりごりだ」と政治から離れているのかと思ったら、驚いたことに、みな、よりよい世の中をめざして社会運動を続けていた。
(つづく)