河野義行さんはなぜ憎まないのか1

 公園などで、白い花が咲いているように見える木がある。シマトネリコだ。花のように見えるのは、6~7月に花が咲いたあとになる長い鞘のような白い実だ。この木は暑さにつよいそうで見かけることが多くなっている印象がある。オフィス近くに建った新しいビルの入り口にも植えられていた。

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 渋野日向子選手が、全英女子オープンで日本選手として42年ぶりのメジャー大会優勝を果たしたニュース。まわりの人に、渋野って前から知ってた?と聞くと、みな知らなかったと言う。
 まさに一夜にして運命が変わったシンデレラだが、そこにスマイリングという形容詞がついた。いつも笑顔で、ダブルボギーの後でさえ腐らずにニコニコ笑ってプレーし、それが良い結果につながったという。

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 そうだよなあ。人生、望みどおりにならないことばかりだが、それに怒ったり恨んだりしちゃいけないな。宮沢賢治じゃないけど、いつも静かに笑っている、というふうに生きたいものだ。ニュースを観ながらそんなことを考えていた。

 また、プレーがうまくいかず、コートにラケットを叩きつけたあと自滅した大坂なおみのことを思い出した。
 大乗仏教では、忿(ふん=怒り)、恨(こん=恨み)などは煩悩とされ、自分にも他人にも良いことはもたらさない。
(ただし、私憤はNGだが、義憤、公憤は慈悲がベースになった憤りだからOK。仁王様の怒りの表情には慈悲があるはずだ。https://takase.hatenablog.jp/entry/20160925

 私はかつては怒りっぽいときもあり、東南アジアで支局長をやっていたとき、スタッフのモノの言い方が気に入らずに「You are fired! クビだ!明日から来なくていい」などと怒鳴ったものだ。立派なパワハラである。
 今は自分で言うのもなんだが、別人のように怒らなくなったと思う。それと嫌いな人が激減したのも、修行(トレーニング)のおかげと感謝している。肉体のトレーニングと同じで、心の修行も、効果が自覚できるようになるのはとてもうれしいし、もっとやろうという励みにもなる。


 怒らない、恨まない、憎まない。そのためのやり方はいくつかあるが、松本サリン事件の被害者、河野義行さん(69)の考え方がとてもおもしろい。
 オウム真理教の松本サリン事件(死者8人、重軽傷者600人)から25年がたつ。河野さんは、自身がサリン被害にあい、妻、澄子さんをサリンの後遺症でなくしている。さらに、被害者なのに警察、メディアからは犯人扱いされ、世間からは非難の集中砲火を浴びた。結婚した河野さんの親戚は嫁ぎ先から「犯人の親戚を家には置けないから離婚してくれ」とまで言われたという。
 そこまでの理不尽な目にあいながら、河野さんはオウムを含む誰にも憎しみ、恨みや怒りはないという。のちに病床の澄子さんへのオウム教団関係者の見舞いを受け入れ、教団元幹部への死刑執行にあたっては「残念」「悲しい」とさえ語った。
 河野さんは新聞のインタビューにこう答えている。
 「事件の1週間ほど後、高校1年生だった長男に私は『世の中には誤認逮捕もあるし、裁判官が間違えることもある。最悪の場合、お父さんは7人を殺した犯人にされて死刑になるだろう』と言いました。もし死刑執行の日が来たらお父さんは執行官たちに『あなた方は間違えましたね。でも許してあげます』と言うよ、とも」
―中学生と高校生だった3人のお子さんに、苦境をどう受け止めようと話したのですか。
 「子どもには『人は間違うものだ。間違えているのはあなたたちの方なのだから許してあげる。そういう位置に自分の心を置こう』と言い聞かせました。意地悪をする人より少し高い位置まで、許すという場所まで心を引き上げようということです。悪いことはしていないのだから卑屈にならず平然と生活しようとの思いでした」。(3日朝日朝刊)
 まさか、と思うほどの心境だ。だが、河野さんは特定の宗教を信じていない。では、どうやってこんなふうに考えることができたのだろうか。
(つづく)