「よみがえりのレシピ」を観て2

takase222012-04-24

この時期、アセビもよく見る。
垂れ下がる白い花シリーズ、でもないけど、今年はスズランを見ていないな。
きのうとは打って変わって、急に暑くなった。東京は25℃くらいになったらしい。
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きのうのNHKニュース。また、北朝鮮からの「こわい」話。
韓国の政府やメディアがキム・ジョンウン体制を冒とくしたなどとして「特別行動がまもなく始まる」と通告したのだ。
《我が革命武力の特別行動はひとたび開始されれば3、4分、いや、それよりも短い瞬間に、これまであったことのない特異な手段を我々式の方法で、全てのネズミ野郎集団と挑発の根源をせん光のごとく焦土化してしまうことになるであろう》(朝鮮中央テレビ
ネズミ野郎集団・・・こんな劇画のような文章を国営放送で流すのは北朝鮮しかない。
「これまであったことのない特異な手段」とはいったい何だろう。ばかばかしいけど、ちょっと怖い。というか、どこまで怖がったらいいのか分からないのが北朝鮮の不気味なところだ。読み上げる女性アナウンサーの「演技」が真に迫って、これがまたけっこう怖い。
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スーパーなどにならぶ野菜の品種は、私たちが気がつかないうちに、多くが数年で変わってしまう。農家がまく種は、種苗(しゅびょう)メーカーに依存しており、メーカーは毎年、品種改良をくり返しているのだ。
映画『よみがえりのレシピ』は、この現状に抗した在来種を守り育てる動きを描いている。
山形各地の在来種を守る農家で、それぞれの物語を紡ぎ、収穫したばかりの野菜を奥田シェフが畑でばりばりかじり、次々にオリジナルな料理にしていく。
奥田さんが噛むたびにシャキシャキとうまそうな音。料理場からはいい香りが館内に漂ってきそうだ。農作業、収穫から料理、食卓まで、五感が刺激されっぱなしの映画である。理屈よりもとにかく在来野菜がうまそうなのだ。
奥田さんによれば、料理人は食材を「料理してやる」のではなく、食材に寄り添わなくてはならないという。例えば、先の「外内島きゅうり」は、苦いが深いうまみがあるという特徴がある。この特徴を最大限ひきだすにはどうするか、と考えるのが料理人だという。だから、食べた人のほめ言葉は「奥田シェフがすごい」でなく「外内島きゅうりがすごい」でいいのだと。その食材のよさを引き出すところにこそ、奥田さんの独創性が発揮される。
在来野菜の生産農家が「うちの野菜がこんな料理になるとは信じられない」と驚きながら、「うまい!」とパクついていたのが印象的だった。例えば、「宝谷かぶ」を乗せたピザ。若い人たちに在来種のよさをアピールする必要があるとも言う。
山形特産の青菜(せいさい)漬けでチーズを包んだ料理も意外なレシピだった。漬物は若い人に敬遠されて廃れる一方だが、鶴岡のレストラン「アル・ケッチァーノ」で、若い女性がナイフとフォークで「塩味が効いていておいしい」などと言いながら食べている。伝統的なものを広げていくには、こういう「状況」を作り出さないといけないのだなと思った。
在来種を残すということは、農家のがんばりだけでなく、うまいオリジナル料理にして、都会を含む他の地方の消費者にアピールする奥田さんのような人も不可欠だ。次世代に伝えていくために、小学校で児童に在来種を栽培、収穫させ、それを食べるという教育実践をするところも現れた。
地域ぐるみのこういう動きが軌道に乗れば、大量消費とは違った方向性をもつ農業が食品加工や観光などとともに、地域文化としてまた地域の産業として育っていくのだろう。
これこそが、地方発展の「レシピ」(処方箋)ではないだろうか。私は日本が進むべき方向がここにあるのではないかと思う。自分自身のライフスタイルを含め、実にさまざまなことを考えさせられる映画だ。畑とレストランが交互に登場するある意味地味な映画なのだが、中身が濃く、映像も美しいので全く飽きない。
映画自体が山形産で、エンドテロップに数百人の「市民プロデューサー」が流れたが私の知り合いの名前もあった。上映が終わると拍手が沸きおこった。すでに夜の10時半すぎ。そのあと渡辺智史監督が挨拶したが観客は一人も帰らない。
渡辺智史監督も山形の人で、夕方の新幹線で駆けつけた。渡辺さんは、映画を作る中で「次の世代に何かを残していかなければならないと感じた」という。30歳になったばかりの若い監督で、これまで、「次の世代に」何かを・・・などということには思いいたらなかったのが、映画製作で自分も変わっていったそうだ。
若くて有能な映画人が、地方を拠点に活躍するとは、これも時代の変化なのだろう。
秋からは映画館でも上映されるので、ぜひご覧下さい。人生観が変わるかもしれません。