「2010年1月12日は何の日か、覚えている人はどれだけいるだろうか」
こう問いかけるのは、中南米に詳しいカーニバル評論家にして、関野吉晴さんの人類400万年の旅「グレートジャーニー」のコーディネーターでもある白根全さんだ。
答えは、「カリブ海の島国ハイチを襲ったM7の直下型地震で、31万6000もの犠牲者が出た日」だ。
私も恥ずかしながら、言われてから、ああそうだったかと思い出した。
今もテント生活を強いられている被災者・・・55万人
撤去されたがれきの割合・・・45%
コレラによる死亡者数・・・6942人
すでに2年も経つのに、地震による惨状はほとんど改善されないまま、被災者は放置され、衛生状態は悪化する一方だという。(地平線通信潤・R88より)
2年も経つのに、である。政治的混乱、汚職、治安の悪さなど、国のありようが災害からの復興にそのまま現れている。
そもそもこの国の政治的混乱は、アメリカが衛星国とみなし、クーデターで政権を転覆するなど政治介入してきたことが大きく影響している。根本からの国の建て直しには、アメリカではない国際的な介入が必要だと思う。
とりあえず、ハイチを忘れずに、関心を持ち続けよう。
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前回まで書いたように、戦前の日本の電力供給体制は、今日と全く違っていた。
明治期、郵便や鉄道、電話などは政府が手がけ、戦後も長く国営のままだったのと対照的に、電気は自由なビジネスで開始されたのである。
そこには、発電から配電まで行う大企業から、発電のみ、配電のみの中小企業までたくさんの民間会社が参入していた。
今なら、どんな僻地でも離島でも、電気がほしいという要望があれば、電力会社は電気を供給すべく施設をつくらなくてはならない。だが、戦前は、電気は、電力会社が「引いてやる」もので、電力会社には「一柱三十灯」という規定があったという。一本の電柱に三十灯以上の申し込みがない場合は、電線を引いてあげません、というのだ。公益事業としての「供給責任」などなかったという。(水木楊『爽やかなる熱情―電力王・松永安左エ門の生涯』P143)
戦後の「9電力体制」は、1950年10月22日の「ポツダム政令」で発足。当時にあっては、戦後復興で急速に電力生産を増やす必要に適合したシステムだったが、次第に非合理性が目に付くようになっていく。
自由化は、この「9電力体制」を大きく変えようというものだ。
さて、電力自由化でどんなことが起きるのか。自由化先進国の例を見ていきたい。
北欧で自由化で先頭を切ったのはノルウェーだった。それまで、電力は国営中心で地域独占の垂直統合型(発電から配電まで一貫体制)だった。
91年、エネルギー法が可決され、発電会社と送電会社に分離された。次に、取引市場を整備。複数の発電会社と小売会社、大口需要家の間で電力の売買がはじまる。
96年、この取引市場にスウェーデンが加わる。スウェーデンでも92年に国営電力会社が発送電分離されていた。両国は以前から送電網を接続していたが、市場を国際的に統合し、ノルドプールという卸電力取引市場を設立して自由な市場取引が始まった。
その後、フィンランドとデンマークも参加、現在ではスポット市場に18カ国から350の会員企業が参加している。そこでは、東電の売り上げに匹敵する年間3100億kWhの電力が取引され、それは北欧4カ国の全電力消費量の74%に達している。
ノルドプールの株式は、ノルウェーとスウェーデンの送電会社が30%づつ、デンマークとフィンランドの送電会社が20%づつ所有している。
(以上、高橋洋『電力自由化』日本経済新聞出版社から引用した)
読者にとっては、電力の「小売会社」、「卸電力市場」、電力の「スポット市場」などといわれても「ついていけません」と言いたくなるだろうが、一つ一つ説明しているとえらいことになるので、がまんしてもらって話を前に進める。
スポット市場では、前日に翌日分の電力の取引を行う。売りたい発電会社、買いたい小売会社、大口需要者が価格を提示しあい、1時間単位で売買価格が決定される。その仕組みは、株取引や食料品の卸売市場と同じと考えてよい。
それで知りたいのは、こうやると、いったい何が変わるのかである。
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写真は、19日付の石巻日日新聞の一面トップ。
「東松島市 環境未来都市に選定」
「再生可能エネルギー誘致」とある。
被災地も動き出している。(つづく)