震災が呼び寄せた歌姫

takase222012-01-21

雨が降っている。
今年に入って、はじめて父親を病院に見舞う。
いつも、昼食時に行って、食事介助をするようにしている。食べさせるなかで、体調がわかるからだ。先週熱が出たとかで、げっそり痩せている。
食がとても細くなって、おかゆを匙で口に運んでも、いやいやして食べない。友人が長野から送ってくれた自家製の干し柿をちぎって口元に持っていったら、それはうまそうに食べた。「ああ、昔食べた干し柿の味だなあ」なんて思い出しながら食べてくれたらうれしいのだが。
高齢なので、次第に衰弱していくのは仕方がないとはいえ、だんだん反応がなくなっていくのをみるのはつらいものである。昔は父親の体に触ることなどなかったのだが、最近は自然に手をさすって「また来るから元気でね」と声をかける。
午後、テレビ番組用の企画書を2本書いて、あと一本くらい書こうかなと思っていたら、「北胸腺帰国者の生命と人権を守る会」代表にして評論家の三浦小太郎さんから「飲みに出てきませんか」とのお誘い。こういうのは断れないので、新宿に行く。そしたら、三浦さんの友人のすごい美人が同席していて、一緒に音楽を聞かせるバーに向かった。
きょう、エタ・ジェイムズが亡くなったとのことで、三浦さんは彼女の曲をリクエスト。
私はそもそも何者なのかを知らなかったので、酔っ払って帰ってからネット検索した。
《「The Wallflower」「At Last」などのヒット曲で知られる米国のブルース、R&Bシンガー、エタ・ジェームズさんが白血病による合併症によりカリフォルニア州リバーサイドの病院で死去した。73歳だった。
ジェームズさんは2010年に白血病と診断され、さらに認知症C型肝炎も患っていた。
ジェームズさんは1938年、カリフォルニア州ロサンゼルスで10代の母親のもとに生まれる。1950年に母親とともにサンフランシスコに移住し、そこで「Peaches」という名のグループを結成。その後、歌手のジョニー・オーティスがジェームズさんの才能を見出し、自ら書いた「The Wallflower」を彼女に提供した。
同曲は1955年にリリースされ、R&Bチャートで1位を記録。1960年にはチェス・レコードと契約し、「At Last」など数々のヒットを飛ばした。1960年代半ばに一時低迷したが、1967年により鋭い、魂のこもった音楽で見事復活を果たした。
1970年代には麻薬中毒でリハビリ施設に入ったが、その後もライブやアルバム制作を精力的に行った。
多くの健康問題を抱え、一時的なスランプもあったが、ローリングストーンズの前座を務め、グラミー賞を6度受賞し、1993年にはロックの殿堂入りも果たすなど、まさに波乱万丈の生涯だった》(CNN)
すごい歌手じゃないですか。
・・・・・・・
歌手といえば、今朝の朝日新聞beに八神純子が特集されていた。
私は彼女のファンなのでとても興味深く読んだ。
米国在住の彼女が、震災を期に、25年ぶりに、日本での音楽活動を本格的に再開させるというのだ。
いくつかの記事によれば、震災から2日後に帰国して出演したラジオ番組で、「求められたらどこへでも歌いにいきます」と宣言。届いたメールへ自ら返事を書き、2カ月後には避難所での炊き出しライブを実現させる。被災地支援やチャリティ活動のため、米国から4回にわたって帰国。自ら炊き出しを行い、仮設住宅では伴奏なしでスリッパで歌ったという。
震災後つくった「翼」は、「頑張れ!日本 愛する!日本」という歌詞があるそうで、被災地で歌うと「生きる勇気が出てきた」の声が上がったという。
八神純子は「歌の力を再確認した。被災地支援も続けていくので本格的に日本でやっていきたい」と活動再開への思いを強くしているという。
1月25日、15年ぶりにアルバム「ブレス」を発売し、2月15日からコンサートツアー「翼―私の心が聞こえますか」を開催する。
Youtubeで久しぶりにメドレーを聞いた。すばらしい。実に色っぽい。
http://www.youtube.com/watch?v=pA9aY97gUlk
あのクリスタルボイスが帰ってくる。楽しみだ。