夕刊に日立がテレビ生産から撤退のニュースがあった。
「日立製作所は、テレビの自社生産から撤退する。唯一の自社工場である岐阜工場(美濃加茂市)でのテレビ生産を2011年度中に終了させる。すでに国内外で販売するテレビの9割超を海外のEMS(電子機器の受託製造サービス)に生産委託しているが、自社工場で生産していた残りの5万台前後も委託に切り替える」(日経)
日立のテレビといえば往年の「キドカラー」を思い出す人も多いだろう。
《この愛称を用いたカラーテレビは1968年に発売された。カラーテレビの輝度を上げるため、ユウロピウムやテルビウムといった希土類元素をブラウン管内部の蛍光体材料として用いたことによる。「輝度」と「希土」からもじって名付けられた。当時、赤色の発色の良さを売り物にしていた》(Wikipedia)
希土つまりレアアースを使っていますよと高らかに宣言したテレビで、このころの日立は、世界のテレビ製造の先端を走っていたのだ。
ところで、私には、希土で蘇る苦い思い出がある。
日本の企業がマレーシアで希土を精製したため、放射性物質が垂れ流され、住民に白血病などの健康被害を与えたとされる「ブキメラ放射能汚染事件」だ。
三菱化成はマレーシアの会社と共同出資(35%)し、イポ州のブキメラという町にARE(アジアン・レア・アース)を設立。82年、モナザイト鉱石から、希土を精製しはじめた。希土の精製の過程で、廃棄物として出る放射性物質トリウム232が環境に漏れ出し住民に健康被害を与えたとされ、85年に住民が操業停止等を求める裁判を起こしたのだった。
この事件は、私も取材して番組にした。当時私はタイに駐在しており、バンコクから取材に通った。
住民を支援するNGOの医師が、私をさまざまな「被害者」の家に案内してくれた。放射能が原因だという先天性障害を持つ子どもは、両目が空洞で、母親にインタビューするのはつらかった。住民をこんな目にあわせるAREはけしからんと、正義感に燃えて取材していた。番組はもちろん、AREを厳しく批判するものとなった。
放送が終わったあと、再びブキメラを訪れた。
すると、この間まで一緒に闘っていた被害者団体が分裂して罵り合っていた。原因は、日本から寄せられる義援金の取り分をめぐっての争いだった。
AREの放射能で白血病になったとされるラムちゃんという少女がいた。(写真)
彼女は、日本の支援団体の招きで来日し、三菱化成の本社まで抗議に行った。ラムちゃんは白血病の治療で頭の毛はほとんど抜けていた。その少女が、三菱化成の巨大なビルを背景に立つ写真が雑誌のグラビアになったりもした。
ラムちゃんがARE操業反対運動の象徴になり、日本の支援が彼女の家族に集中したことから仲間割れが起きた。
双方から相手の悪口を聞いているうち、「ちょと待てよ」と、「被害者」たちの言い分の信憑性を調べなおしてみようと思いたった。(つづく)