福島原発で何が起きているのか9

takase222011-03-29

ハクモクレンの花も淡い黄色だ。
蕾がはちきれそうに膨らんで、いよいよ春だなあと感じさせる。
でも、花がどうしたなんて書いていると、この国難の時期にと、叱られそうだ。
石原慎太郎知事は29日の記者会見で、東日本大震災に関連し、「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示した》(時事29日)
被災者に思いを寄せるということと、花を愛でながら楽しいひと時を過ごすことは矛盾しないと思うのだが。
人が死に、花が咲く。花が枯れ、新たに人が生まれる。そもそも、この世は無常でいいのだ。
きのう、月曜の朝日歌壇・俳壇では、短歌と俳句の違いがくっきりと現れていた。俳句の佳作40句に震災を詠んだものがみあたらないのに対して、歌壇のほうは震災一色だ。
以下、4人の選者の第一首
地震津波の前に詠みし歌春は近くて脳天気なり(東京都 夏目たかし)
冷蔵庫に庭の雪氷詰めにけりランプで暮らす日々の続けば盛岡市 佐藤忠行)
喚ぶ声か振り返りつつその母は足どり重く地震(ない)の地離る(福岡県 城島和子)
被災地を視ては夫婦で涙ぐむ温き部屋にて熱き物食べ飯田市 草田礼子)
佐藤さんは停電が続いて大変な日常を詠んでいるが、さすがに被災地からの歌はまだ少ない。短歌どころではないのだろう。
夏目さんは、震災の前に詠んだ歌が、平穏な日々がいつまでも続くと信じる「脳天気」なものだったなあと振り返っている。
城島さんは、この光景をテレビで観たのだろう。行方不明の子どもの呼ぶ声が聞こえそうな廃墟を去らねばならぬ母親の心を思いやっている。
自分たちの暮らしを省みて詠んだのが草田さんだ。暖房の部屋であったかいものを食べられることの有難さには多少の罪悪感も混じっているのか。
3.11が日本人の世界観を一変したことは短歌にも現れている。
さて、福島である。
今夜、後藤政志氏が講師で、原子力資料情報室主催の緊急!公開研究会『福島原発で今なにが起きているのか』があると聞き、行ってみることにした。
だが、震災取材の打ち合わせ、急に決まった出張の準備、それに月末の資金繰りでばたばたのところに、立て続けにトラブルが飛び込んできた。大幅に遅刻して会場に着くと、総評会館の大会議室は人があふれてとても入れない。急遽設けられたらしい第二会場で研究会の様子を映像で見せていた。こちらも立ち見が出るほどの盛況。このNPOが発する情報への期待度はすごい。
福島第一原発では、高い放射線のたまり水を排水しながら核燃料の冷却も同時に行う、ぎりぎりの作業をこれから続けなくてはならない。そのためには人海戦術しかないという。それが間に合わないと、核燃料棒のメルトダウンで原子炉圧力容器も格納容器も破れ、水素爆発または水蒸気爆発で大量の核物質が外に出るおそれがある。
1基がそうなると、その一帯は人が立ち入れなくなり、隣接した他の原子炉も次々に制御できなくなって破壊されていく。何度聞いても怖い話だ。
そんな最悪のシナリオを食い止めるべく、現場はまさに修羅場になっているだろう。
作業する人々の安全と幸運を祈る。