幼い者たちの歌壇進出

takase222012-07-25

炎天下のサルスベリ
暑い日が続きますね。
今週の朝日歌壇は姉妹がまたそろって入選。
テスト明けやりたいことの箇条書きピアノ・おしゃべり・ひるね・くうそう
                   松田梨子(馬場選)
さくらんぼ歯と舌と喉が予想したよりもずーっと甘くてざわざわ
                   松田わこ(高野選)
姉妹よりもっと若手も進出してきた。
台所の虫かごにいるカタツムリあっつゆ草食べたふんもしている
                   高橋理沙子(高野・馬場選)
理沙子さんはなんと小学校2年。すでに二年前に幼稚園の卒園式を詠んで入選していた。
一方で、こうした若年化現象に異をとなえる人もいる。ある短歌会の会報にこんな論評が載っている。
《近頃、「朝日歌壇」の妙な現象が気にかかっている。四人の選者が競うように、小・中学生の短歌を入選作として選び、お孫さんの成長に目を細めているような光景なのだ。二〇一〇年頃からか、ある小学生姉妹と母親の家族三人がそろって同じ日の「歌壇」に発表されることが多くなり、話題を呼んだ。二〇一一年には、父親も加わって家族四人の歌集まで出版されていた(松田わこ・梨子・徹・由紀子『たんかでさんぽ』角川出版)。
(略)
歌壇人口の高齢化が進むにしたがって、短歌総合誌の新人賞の受賞者たちの低年齢化が進み、主催者と選考委員、選者たちの一種の焦りのようにも感じられた。だからと言って、たとえば「新聞歌壇」における幼い者たちの片言のような作品を珠玉のように褒めそやすのはいかがなものだろうか。年少者のナイーブな感性を大切にし、育てたい気持ちは分かるが、現代短歌史において新聞歌壇や短歌新人賞の役割〜短歌入門者習作・発表の場、新人の発掘、多くの読者の意見表明・感情表白交換の場でもあったことも忘れたくはない。「大人」の切磋琢磨の領分を侵すことにはならないか。歌人団体や新聞社・放送局の短歌大会、有名歌人名を冠した短歌賞などにはジュニア部門が設けられている。「学生百人一首」(東洋大学)、「短歌甲子園」(盛岡市)など対象を限る例も多い。私には「住み分け」が必要と思われるのだが、新聞社や選者たちの意見が聞きたい。》
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/04/post-8723.html
こういう不満は当然あると思っていた。朝日歌壇は熟練の詠み手がひしめく激戦区で、入選はわずか40首。「幼い者たちの片言のような作品」が入選すれば、それだけチャンスは狭められる。
お嬢ちゃんたち、遊び場はあっちだよ、と言いたくなる気持ちもわかる。
「住み分け」論も正論なのかもしれない。ただ、ほんとにうまいなあと感心する歌もある。また、若い子の登場で読者層が広がり、新たな感性にベテランが刺激を受けたりということもある思うが、どうだろうか。