原発賠償は東電に

takase222011-04-02


30日の水曜日、取材で佐渡に行った。
一泊して木曜日、佐渡を離れようと宿のおばさんに車で港に送ってもらう途中、道のそばの田んぼからいきなり大型の鳥が飛び立った。あれ、何かなと思っているうちに小さくなってしまった。
羽は白っぽかったがサギではない。そして、頭部には赤いものが見えた。
まず、間違いなく、あれは「朱鷺(トキ)」だったのだろう。
ぼうっとしていて写真を撮る間もなかった。(この写真は「佐渡トキ保護センター」のもの)
学名「ニッポニア・ニッポン」とまさに日本の象徴のような鳥なのだが、03年、日本のトキは絶滅した。その後、同一種の中国のトキを貰い受けたり借りたりして、人工繁殖につとめ、今は191羽まで増えている。うち、およそ50羽が佐渡の野に放たれた野生のトキ。第四次放鳥(18羽)がつい先月に行われたばかりだ。
トキはいま飼育から「野生復帰」の段階に進んでいる。ちょうど、私が佐渡についた日、二組目の野生のトキの抱卵が確認されたというプレスリリースがあった。今年は、ついに念願の野生の孵化が見られるかもしれない。早ければ今月20日ごろになるだろう。
一度絶滅した動物が、再び野生で繁殖に成功するとなると、もちろん日本初だし世界的にも、きわめてまれなことだ。大ニュースである。ぜひうまく卵が孵って、日本が明るい話題で盛り上がってほしい。
さて、福島だが、長期戦の様相だ。というより、「終わり」の形が見えず不安感がつのる。
会社でも家でも話題は「ゲンパツ」。電車内でもふつうに「マイクロシーベルト」、「圧力容器」などの言葉が飛び交っている。
アマゾンで、原発関連の本を買おうと検索したら、いくつもの本が在庫なしで、古本の値段が何千円にも跳ね上がっている。
きょう大型書店をのぞくと、やはり在庫切れでごく一部の本しかない。店頭で入手可能な本の中に、今年2月、震災の直前に出た吉岡斉氏の『原発と日本の未来』があった。500円と手ごろなので買い求めた。吉岡氏は九州大の副学長で、科学技術史の専門家だ。
冒頭に「原子力論争における冷戦時代の終焉」という章があり、吉岡氏のスタンスが述べられている。イデオロギー的に「賛成」「反対」と対立するではなく、「総合的に」評価すべきだという。
《筆者は原子力発電に対し「無条件反対」の立場はとらない。理由は二つある。第一は、世の中に「絶対悪」として無条件に否定できるものはほとんどないことである。(略)第二は、この立場をとれば、原子力発電に対して異なる立場をとる人びととの対話が成立しなくなることである。
 もちろん軍事転用の脅威や原子力施設の事故・災害の危険性は、原子力発電のかかえる重大な弱点である。だがこの二点だけをもって原子力発電を否定することは筆者にはできない。(略)核兵器原子力発電とを全く同列に論ずることはできない。原子力発電の是非と在り方については。他の基準をも加えた総合的観点から、判断しなければならないと考える》
冷静でバランスのとれた立場だと共感した。
では、総合的に評価するために必要な「他の基準」とは何か。吉岡氏が重視するのは、経済性だ。
3月25日の朝日新聞「オピニオン」欄に、吉岡斉氏の「原発賠償 国は負担するな」が載っている。
《日本の原子力発電事業の特徴は、政府のサポートが、他の国に比べてずっと強いことだ。所轄官庁と電力業界がほとんど一体になっている》
原発は、燃料費こそ火力に比べて安いが、設置コストが高い。今回の事故でさらに安全対策のコストがかかるし、その経営リスクはきわめて大きい。政府が積極的に原子力発電推進をやめ、電力会社が自由に経営判断できるようにさえすれば、おのずと原発から撤退していくはずだ》
《今回の事故の賠償はすべて東電の責任で支払わせ、政府が援助すべきでない。「事故があっても政府が守ってくれる」というのはもう通用しないことを示したほうがいい。
 原発は、事故や災害が起きれば多数基がダウンし、運転再開までに時間がかかるので、電力供給不足を招きやすい。その可能性は前々から指摘されてきたのに、原発を作り続けてきた責任は重大だ》
資本主義社会で自由に経営する企業であれば、コストもリスクも巨大な原発を選ぶわけがない。これまでは、いわば採算を無視して、政府が電力会社を強力に支え指導して原発を推進してきた。このさい、国が支えるのをやめてみなさいというのである。賛成だ。
金勘定から言っても原発は割に合わないのだ。