北朝鮮難民救援基金http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/の東京弁護士会人権賞受賞http://www.toben.or.jp/new/20081204_02.html
を祝う会があった。
この団体の特徴は、脱北者がかつて日本にいたかどうかには関わらず救援すること。ロシアや東南アジアまでの脱出行を支援する中で、弾圧を受けることも多く、事務局長の加藤博さんは2002年秋に中国で難民救援活動中に拘束されている。
私は加藤さんとは昔からの因縁がある。彼は私がかつてお世話になった会社(日本電波ニュース社)の先輩だった。もっともそれを知ったのはずっと後になってからだった。私の入社時には加藤さんはすでにフリーになっていて、すれ違いだった。
私がマニラに駐在していたころ、加藤さんは、フリーとして仕事をしており、週刊文春の記者だった勝谷誠彦さんと二人でよく私のオフィスに遊びに来た。勝谷さんとはそのときからの知り合いである。
その後、加藤さんは北朝鮮の難民問題を救援する運動に入っていく。
97年、私は加藤さんの初めての現地救援活動に同行取材する機会に恵まれた。中朝国境の丹東(タントン)で脱北した帰国者家族と会い、身の安全の確保と日本への渡航につき相談にのるという目的だった。
私たちは難民家族が匿われているという市内のアパートに向かった。加藤さんはドアを開けて家族と会うなり、彼らをひしと抱いて「よかった、よかった」と涙をこぼした。このシーンは強烈に私の記憶に叩き込まれている。
その数ヶ月後、その家族は安全のため、ハルビンに移動した。再び彼らに会いに加藤さんが中国に向かったが、そのときも私は同行し撮影している。
この中朝国境行きは、加藤さんの進む方向を決める意味を持っていたと思う。翌98年、加藤さんは基金を創設している。人権賞はみなさんのものですという加藤さんの挨拶を聞きながら、十年以上前の出来事が蘇ってきた。
特筆すべきことは、この会に拉致問題の関係者が10名近く招かれていたことだ。家族会の増元照明さん、特定失踪者問題調査会の荒木和博さん、北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会の川添友幸さんなどが顔を揃え、拉致問題が、「人権」というキーワードで難民問題などとの連携強化を示していた。
さらに広くアジアの人権という観点から連帯するという趣旨なのだろう、ミャンマー民主化と中国民主化の活動家も挨拶にたった。この中国人たちこそ、3月のチベット集会に参加した漢族の人々だった。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080323/
会場にチェロの演奏が流れた。
奏者は日本フィル交響楽団の江原望(えはら・のぞむ)氏で、曲は「アメージング・グレース」。江原氏の解説によると、アメリカの第二国歌とまでいわれるこの有名な賛美歌を作ったジョン・ニュートンは、若い頃、アフリカで黒人奴隷貿易に従事していた。それを悔いて深い信仰の道に入り作ったのがこの歌だという。
次の演奏は、「誰も知らない私の悩み」。私の辛さはイエス様しか知らないと歌う黒人霊歌だ。
この会に実にふさわしい選曲だと思う。
奴隷貿易を背景に持つ二つの曲を聴きながら、脱北者や拉致被害者、強制収容所の囚人に思いをはせた。