環境報道に欠けているもの

環境危機を扱ったテレビ番組が、去年あたりから一気に増えた。
今、どの局も「特番」といえば「環境」がテーマである。数年前まで、温暖化を本気にしなかった人がたくさんいたことが信じられない。急にみなが慌てだした感じだ。
北極の氷が融け出して餓死するシロクマ、波の浸食で消滅寸前の村、年毎に被害が増すハリケーンの猛威・・・。すでに始まった数々の変化は、まさにテレビという映像メディアにぴったりの対象で、その恐ろしい迫力ほどのは視聴者を震え上がらせるに十分だ。
特に心配なのは、ヒマラヤ山地一帯の分厚い氷が融けることだ。メコン、インダス、ガンジス、ブラマプトラ、イラワジ、揚子江黄河とアジアの主要な大河はここを源流にしている。計算するのも怖くなるほどの膨大な流域人口を抱えている。この水の供給が狂えば、今の社会の繁栄も安定も吹っ飛んでしまう。その予兆は、氷河湖の決壊という形でもう現れはじめた。
温暖化の影響は、旱魃や洪水、竜巻などさまざまな形で現れ、人類にとっては破局的な結果をもたらす。これに《温暖化》(warming)という言葉はふさわしくない。ぽかぽか温かくなるだけ、みたいな牧歌的な響きをもつから、これをやめて、《気候変動》(climate change)という用語を使おうという傾向にある。なにしろ、海流も季節風のコースも変えるという、根こそぎの変動なのである。
早く何とかしなくてはならない。ある番組を観た人がブログで「NHKスペシャル北極の温暖化を見ました。もう、引き返せない負の連鎖がスタートしてしまっているようでガタガタ震えました」と書いていたが、その引き返せない時点が近くに迫っていると多くの研究者が忠告している。もう過ぎてしまったと言う人もいる。
いろんなテレビ番組、新聞や雑誌の特集記事のおかげで、環境危機に大きな関心を持つ人が増えている。これはとてもいいことなのだが、メディアの環境報道には、根本的な欠陥がある。危機を知らせるが、ほとんどは「どうすればよいのか」その解決策を示さないのだ。「真剣に考えなくてはなりません」とキャスターが、深刻そうな顔をしておしまいというのが多い。
解決策らしきものを提示する場合もあるが、それには二つのパターンがある。
一つは、こんなすごい発明があります、科学技術がここまで進んでいますよと、明るい展望を紹介するもの。解決は科学者にお任せということになる。
もう一つは、「一人ひとりが、身の回りの無理なくできるところからエコライフをはじめましょう」と訴えるもの。たいていの番組はこちらの路線だ。がんばっているエコ家族が登場したりする。
しかし、これらはいずれも真の解決ではない。真の解決から目を逸らすという意味で、むしろ有害かもしれない。ではどうするのか?
ここに「どうすればよいのか」を指し示す本が出た。
『持続可能なまちは小さく、美しい―上勝町の挑戦』(学芸出版社)だ。5月の日記でこの出版を予告していたが(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080521)、いま書店に並んでいる。
その素晴らしい内容を紹介していくことにする。(つづく)