めぐみさんの将来

きのう書いた娘の進路相談に触発されて、数年前のある出来事を思い出した。
同窓会で、三十年ぶりに高校時代の仲間と顔を合わせた。近況報告がはじまり、ある女性がマイクを持った。教師をしているという。
「私は、教師を天職だと思っています。教師になったことに、これまで一度も疑問を持ったり、後悔したりしたことはありません!」
まるで選手宣誓のように大きな声できっぱりと言い切った。きっと立派な校長になるだろうなと思わせる大変な貫禄である。「すごいな」「羨ましい」という声が会場にあがった。
そんな人が本当にいるのか、と私は驚きながらそれを聞いていた。私はといえば、今だに、自分はこの仕事でよかったのか、という疑問がわいてくる。日々やっていることを考えると、毎日のように起こるトラブルへの対処や諸々の手続き、社内人事や請求書のやり取りなど、あまり「クリエイティブ」とは言えない業務が多い。さらには、今の日本のテレビのあり方への疑問がある。もっと言うと、自分はこういう業種に向いているのかという個人的な疑問もある。
この世は思い通りにはならないものだ。仕事を選ぶさいには妥協はつきもので、希望通りの仕事にはなかなか就けない。お金を稼ぐためには贅沢言っていられない。というわけで、自己実現の多くの部分を仕事以外に求める人々もたくさんいる。
横田めぐみさんが、小学校の卒業文集に書いた「将来の私」という作文がある。
「現在、私は別に将来こうなりたい!と言うような事は特別考えたことがない。だから勉強も意欲が出ないのかもしれない。」めぐみさんはこう書き出す。将来を決められないのは、なりたいものがころころ変わってきたからだという。
小さい頃から「童話のような夢をいっぱいに胸に膨らませながら大きくなってきた。でも二年くらいたつと、いつも考えが変わってくる。お嫁さんから看護婦さん、そしてまた歌手へと・・・」。めぐみさんは、過去をふり返ったうえで、将来をこう展望する。
「小さい時のように見かけだけで決めるのではなく、自分の能力とも照らし合わせて考えなければならない。これはあくまでも私の理想だが、能力と夢と現実のつながった将来にしたいと思っている」。
これを初めて読んだとき、とても小学生の作文とは思えなかった。さすが図書館から借り出した本の数が全校一位だったという読書家だけあって、文章が上手なのはもちろん、考え方が実にしっかりしている。娘に見せたら「まったく、その通りだね」と感心して読んでいた。
「能力と夢と現実のつながった将来」をめざしためぐみさんは、この作文を書いて一年もしないうちに北朝鮮に拉致された。同じ娘を持つ親として、このような形で将来を閉ざされためぐみさんが、哀れでならない。