チベットについての本を読もうかと、ずいぶん久しぶりにダライ・ラマの自伝を手にしたら、ページの間から何枚かの写真がこぼれ出た。その一枚は、ダライ・ラマとある白人が話していて、そばに私が立っているものだ。
92年、北インド、ヒマチャルプラデシュ州カルパで行なわれた「カーラチャクラ灌頂(かんじょう)」を取材しに行ったときのスナップだ。灌頂というのは、密教儀式で、そのうちカーラチャクラ灌頂はダライ・ラマしかできないことになっている。難しい中身なので説明ははぶく。写真はカーラチャクラ曼荼羅。http://www.tibethouse.jp/culture/kalachakra.html
何日かぶっ通しでたくさんの人を集めて行なわれる大イベントで、そのときは、広い山の斜面に、近くの村々から来たチベット系民族の参加者が主催者発表で2万人いた。外国人も多く、翻訳サービスがあった。みなFMラジオを持っており、英語は70メガヘルツ、日本語は75メガヘルツなどとチューナーを合わせると、ダライ・ラマの説教を各国語で聴くことができた。日本人は二十人くらいいたと思う。
その中にアートディレクターの浅葉克己氏がいたと記憶している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E8%91%89%E5%85%8B%E5%B7%B1中国雲南のトンパ文字を調べに行っての帰路に立ち寄ったと言っていた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%91%E6%96%87%E5%AD%97
山の中で開かれた儀式なので、ホテルはなく、外国人たちは旅行社からテントを有料で借りて寝る。数日間のキャンプ暮らしである。欧米人が多かった。皮肉なことに、中国がチベットを抑圧しダライ・ラマが亡命したことは、チベット人とチベット仏教が世界に広がることをもたらした。当時、欧米のスピリチュアルの世界では、チベット密教の人気は禅仏教を上回っているかもしれない。
外国人のなかにちょっと目立つ背の高いアメリカ人男性がいた。やはり背の高い白人のモデルのような女性と一緒で、一目置かれた存在だった。私の取材通訳のチベット人が、その白人男性と記念写真を撮りたいというので、その白人を通訳と並ばせて「スマイル!」とシャッターを押してあげた。あとで「彼、誰なの?」と聞くと、「えっ、知らないんですか?リチャード・ギアですよ」。
恥ずかしながら、私はリチャード・ギアなる俳優を知らなかった。同行していた女性は結婚したばかりのシンディ・クロフォードというスターだということも後で聞いた。
なぜか私はリチャード・ギアのそばになることが多く、冒頭に書いた写真の白人は彼だったのだ。たぶん、通訳が親切で撮ってくれたのだろう。ダライ・ラマとリチャード・ギアと私の3ショットである。私とチベットとの出会いはこうして始まった。