桜がわーっと一斉に咲き出した。よく晴れた昼過ぎ、衆議院議員会館前に矢島床子(やじまゆかこ)さんが現れた。3月2日の日記に紹介した助産婦さんだ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080302
きょうは、彼女が国会議員に陳情に来ると聞いて待ち受けていた。4月から施行される制度によって、助産院の開院が難しくなり、いま各地で混乱が起きているためだ。
問題になっているのは、医療法第19条で、その文言は《助産所の開設者は、厚生労働省令で定めるところにより、嘱託する医師及び病院又は診療所を定めておかなければならない》だ。新しい省令によって、助産師個人が自助努力で嘱託の産婦人科医と嘱託する病院を確保しなくてはならなくなった。
ところが、ただでさえ、産科医が不足していて25日にはこんなニュースが伝えられた。
《全国的に産婦人科医の不足が深刻化する中、今年に入ってから全国77カ所で、お産ができなくなったり、お産の件数が制限されたりすることが厚生労働省の緊急調査で判った。
調査によると、今年に入ってから、既にお産を休止したり、今後、取扱件数を制限したりすることを決めた産婦人科は24都府県77カ所に上る》
快く助産院の嘱託を引きうける病院が多いはずがない。こんな状況で、法律で嘱託病院を確保できないと開業できないというのだから、助産院つぶしと非難されても仕方がない。「少子化対策」などと言う先から、ますます子どもを生みにくい環境にしている。
矢島さんは反対運動の先頭に立ってきた。本業でお疲れなのに黙っていられないのだ。これまで署名活動を中心にしてきたが、きょうは戸井田とおる(自民)、福島瑞穂(社民)、辻本清美(社民)ら国会議員に会って直接訴えた。
矢島さんはもう理屈ではない。「お母さんと赤ちゃんが困るんですよ。それでいいんですか。何とかしてください」の一点張り。矢島さんたちの願いが叶うように政治家も動いてもらいたい。
私は田舎の伝統にしたがって、母親の実家で生まれた。もちろん産婆さんに取り上げてもらった。昔はそれが当たり前だった。この伝統を壊したのがアメリカだった。
1948年、GHQの指令で厚生省が「母子衛生対策要綱」という通達を出し、そのなかで出産の場を自宅から病院に切り替えるよう勧告したのだ。出産を病院で管理する方式が行政的に押し付けられ、日本の出産の現場は激変した。50年以前の出産は95%以上が自宅でだったのが、60年には約半分に急減し、70年以降は96%が「病院などの施設」で生まれている。(奥村紀一『病院出産が子どもをおかしくする』より)
占領軍は、コメより優れているとパン食を押し付け日本の食文化にダメージを与えたが、近年は日本の伝統的な食生活がよいとされている。
産婆さんもまた見直されつつあり、助産院や自宅での出産が評価されるようになってきた。私の娘は矢島さんに取上げてもらったのだが、実に暖かい雰囲気にすっかり感心してしまい、ファンになった。矢島助産院には若いアシスタントが何人もいて修行中だった。今はもっと多くなっているようだ。助産師は命の誕生に直接にかかわることができる素晴らしい仕事である。改正医療法の施行は、ゆくゆくは開業したいとがんばっているたくさんの助産師の卵の希望を打ち砕くものだ。
大きく言うと、産婆さんの復権は、日本の民族文化の復興にかかわる。いまはむしろ都会での助産師復権が盛んだが、昔のように田舎の隅々で産婆さんが活躍するようになれば、この国の文化に重要な変化が起きる予感がする。