朝大OBとの連帯

takase222008-04-03

一昨日から昨日にかけて大阪に出張に行っていた。
淀川にかかる橋の上を車で走ると、両岸の桜が盛りを過ぎて散っているようすが見えた。今年もせわしくて、静かに桜を楽しむこともなく過ぎたかと思っていたら、きょう桜の名所に行く機会があった。
けさ、急な用事があって国立市大学通りに行った。通りを埋めた桜が散りかけていて、思わず立ち止まってしまった。(写真)一斉に咲いて風景を変え、すぐにさっと散っていく桜。桜は人をもの思いに駆り立てる。一定の年齢を過ぎると、春が来るたび、あと何回桜を見られるだろうかと考えてしまうというのがよくわかる。
さて一昨日の夜、大阪の下町の小さな焼肉屋に入った。部下と朝鮮総連の話をしていたら、店のあるじが「わしは朝大(ちょうだい)の2期生や」と話しかけてきた。朝大とは総連系の朝鮮大学校のことだ。在日の店だろうとは思っていたが、総連系か、口論にでもなるかな、と考えていたら、逆にあるじは朝鮮総連北朝鮮をこき下ろしはじめた。
朝大を出たとなると総連のエリートである。内部に通じているだけに、朝銀(朝鮮信用組合)のでたらめさも幹部の腐敗も詳しく知っているという。北朝鮮にも行ったことがあるという。あるじの結論は「あの政府は、はよ潰さなあかん」だった。
そして話は帰国運動に及んだ。1959年にはじまった、9万3千人の在日朝鮮人とその家族を北朝鮮に移住させた大キャンペーンである。知り合いの方で、北に渡った人はいるでしょうね、と聞くと・・・
「同期生がぎょうさん北朝鮮に渡った。みな行方不明になるか死んだわ。もう誰もおらん」そう言って、あるじはぼろぼろ涙をこぼした。
朝鮮大学校は1956年の創設とされるから、2期生となると、いま70歳近いことになる。帰国運動のころは、ちょうど意気盛んな青年時代だ。あるじの仲間たちは、祖国の社会主義建設に貢献しようと、意気揚々新潟から船に乗っていったのだろう。
日本から北朝鮮に渡った人たちで、脱北して日本に逃げてくる人が増えている。そういう人を応援していると私が言うと、いきなりポケットから千円札を何枚か出して、カウンターごしにほおってよこした。
「ええことしとるな。がんばってや」
拉致、脱北者、収容所、飢餓・・・日本人が北朝鮮の人権をめぐる問題を糾弾すると、在日との関係が悪くなると心配する人がいるが、実はそうではない。逆に在日と手を組んで闘えるテーマなのだ。在日の多くは、金正日体制が一日も早く崩壊するよう願っている。かつて総連系だった人のほうが「被害」が大きいだけ、金正日体制への強い拒否感がある。
さっそく、きょう、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(守る会)の三浦小太郎会長に、あるじのカンパを手渡した。
きょう4月3日には、北朝鮮ジャーナリストの雑誌「リムジンガン」http://www.asiapress.org/rimjingang/日本語版が創刊され、13日には北朝鮮強制収容所をなくす運動体“NO FENCE IN NORTH KOREA”が発足する。
確実に金正日体制包囲網は強くなっていく。