苦しみにどう向き合うか

懐かしい人に20年ぶりに会って遅くまで飲んだ。チベットの話を続けようかと思ったが、よっぱらっているので生き方の話をしたい。
この世は悩みが絶えない。いったい「悩み」とは何か。それは、とりあえず、「客観的に存在する問題が主観的意識に反映したもの」だとしておこう。そうすると、悩みや苦しみへの対処には三つのやり方があると思う。
第一は、客観的に存在する問題そのものを「解決」することだ。例えば、現代人が最も悩んでいるのが職場の人間関係だという。私の妹は昔、出版社に勤めていたが、ある上司にだんだんと嫌悪感を抱き、ついには、その上司が座っている後ろを通り過ぎるだけで、ぞぞーっと鳥肌が立つにいたった。こういう場合、ア)直接対決するか別の上司の力添えを得るなどしてその上司との関係を打開しようとする、イ)配属部署を変えてもらうなどその上司と離れる工作をする、ウ)会社を辞める、などさまざまな「解決」策が考えられる。(ただし、あらたに配属された部署に、さらにひどい上司がいるかもしれないし、会社を辞めたら収入がなくなるなど、別の問題が起きるかもしれない。)
第二は、悩みというものが、客観世界の「主観への反映」だとするなら、客観状況は変えられなくとも、問題を意識する「枠組み」を変えるという対処法が考えられる。つまり、その問題ってそんなに悩むべきことなんですか、と自分に問い直すことである。上司がつらくあたるのは、自分にとってとてもいい訓練になっていると納得できればOKだ。また、そのいやな上司が、会社に連れてきた孫を膝に乗せていたりするのを見ると、ああ、彼も愛すべき人間だったんだと急に可愛く見えてきたりする。思考のスケールを大きくとれば、自分がやるべき任務から見て一人の上司との衝突など大したことないと納得できるかもしれない。喧嘩ばかりしていた二人がいつのまにか恋仲になっていたというのはよくある話だが、これは二人の関係自体が変化したのではなく、「意識」に変化が起きている場合が多い。カウンセリングは、たいてい、客観状況を変えられないなかで、意識の枠組みを変えようとする手法を使う。ただ、何でもかんでも無理やり「前向きに」「ポジティブに」考えようとするのはよくない。
第一も、第二もだめなら、「忍」つまり耐え忍ぶしかない。情けなく聞こえるが、立派な最後の手段である。嫌々ながら耐えているとすぐにくじけるが、「腹をくくって我慢しよう」と気合を入れて決意すると、かなり続けられるものである。(だんだん体育会系根性論になってきた)この場合、多くの人は我慢の苦しみを軽減するための工夫をする。深呼吸、ヨガなどさまざまな気分転換法もその一つだ。本屋にたくさんのストレス対処法の本が並んでいるのは、いかに多くの人が、問題を「解決」もできず、また「納得」もできず、毎日「我慢」の生活を続けているかの証である。
しかし、上に書いたことはみな表面的なことであって、本来的に人間は、「生老病死」という根本的な苦しみに直面せざるを得ない。これは逃れられない。ここに「覚り」という問題が出てくる。どうすれば覚れるのか。試行錯誤しているのでこの日記で考えていきたい。