覚りへの道18−内面のレベル2

内面の発達レベルは、学問的にもきちんと段階に分けられるという。
目に見えないものでもランク付けできることは、たとえば将棋の実力判定を考えてみると分る。将棋連盟の免状が欲しい人は、プロ棋士などの高段者と対局をして、「君は5級」、「あなたは2段」と判定してもらう。別の高段者が、さっきの「5級」の人を「6級」あるいは「4級」にランク付けすることはあっても、「5級」の人を「2段」と判定することは決してない。その意味で、判定には客観性がある。
内面の発達レベルもこのようにランク分けできるという。これは、子どもの発達を扱う発達心理学では自明のことだ。
小さな子どもが言う。
「お月さまはね、ぼくについて来るんだよ」
ここでは、子どもの認識はすべてが自分中心に回っている。
大人は「この子はとんでもないことを信じている」と心配したりしない。大きくなればこの段階は必ず克服されることを、経験上知っているからだ。
近所のミカちゃんやリョウタ君にも、お月さまはついていくのか?お月さまは一つなのに・・。成長して、他人の視点に立つということができれば、実は月は動いていないことを自然に納得する。
これは、科学的知識を得て、太陽と地球と月の関係を理解するからではない。内面の認識レベルが上がっていくからである。
人類は、非常に長いスパンで見れば、内面のレベルを着実に上げてきたといえる。昔の人の方が立派に思えたりすることもあるが、全体としては高くなってきたはずだ。(2500年前にシッダールタのような突出した個人が現れるのはなぜかについては、あらためて考えたい)
いま、環境=資源問題と戦争で地球そのものが破壊される可能性が増大している。持続可能にして戦争のない地球を実現するという、国民国家を建設してきた時代とは違った課題が提示されている。
「認知」にしても「倫理」にしても、人類には、これまでより一段高い内面の発達が期待されている。グローバルな危機が進行するという客観状況が、我々の内面のさらなる発達を要請しているとも言える。
本当の意味で社会をよりよい方向に改造していくためには、我々の内面が今のままでは不十分なのだ。しかし、一人ひとりの内面が発達していけば、いつか良い社会になるでしょうと成り行きに任せてはならない。時間があまりない。意識的な努力が必要になる。
ここで重要なのは国家(ここでは日本)のリーダーだ。特に政治家の一定の割合をなるべく早く高い段階に持っていく方法を考えなければならない。そして・・・
革命戦略についてはまた別の機会に書くことにしよう。
前回、内面の発達の先の方に「覚り」を位置づけると書いた。すると、「覚りへの道」は、人類の生き残りのための「社会改造への道」へとつながっていることになる。
(つづく)