右翼と左翼の「統合」3

個人の不幸は社会のせい、そんな考え方をかつて自分もしていた。
むかし、数年ぶりで高校時代の友人と会ったときのこと。大学を卒業して有名な大手証券会社に決まったと聞いていたのだが、一年もたたずに彼は退社していた。
営業成績による激しい社内競争、厳しい人事管理のなか、入社すぐに自律神経を失調したという。社内のスポーツ同好会に入ったり、会社になじもうと彼なりに努力したが、落ち込みが治らないまま、悩んだ挙句、辞めることにした。
俺はだめな人間だ、と暗い表情で俯く友人に、私はこう言った。
「ばか、悪いのはお前じゃなくて、会社だ。というより社会の仕組みが問題なんだ。お前は社会の犠牲者なんだよ」
すると、友人は顔をあげて、まじまじを私を見、「お前はいいなあ、そんなふうに考えられるなんて」と羨ましそうに言った。
そのとき、あれ、こいつと俺とは基本的な発想が相当違うようだな、と気づかされた。
私がばりばりの左翼だった若いころのことで、無邪気にも「みんな社会が悪いのさ」と思っていたのである。

さて、「何故に人間には自由がないか」に対するもう一つの答えは、主観的な理由だ。
ホッブスやバーク、フロイト民族学者、政治上の保守主義者」たちが支持するという考え方は;
人間が自由をもたないのは客体的社会構造に原因があるよりは人間の本性に由来するとする。(略)悪しき人間の本性が不自由の源であり、残忍さや悪や不平等も人間から生じるとする」。
真の自分が統制できないところに問題があるというのである。
「事態を少しでも改善するためには統制のうえに統制を重ね、法律と合理性と規則で内面の殺人鬼を制止していく必要があるとされる」。
「不平等や社会の不正義は避け得ない」のだから、「エドモンド・バークは、社会機構を変えるための革命は無意味であり、革命があっても人間の本性が変わらない限り社会は良くならないとする。むしろ社会組織がゆれ動けば狂気や無政府状態のなかで人間の状況は悪化すると考えられる。したがって社会機構がある程度公正なものならばむしろ手を加えないほうがよいとする保守主義となる」。(『エデンから』)

こうして、政治的な右と左は、人間の苦しみの根本原因を内に求めるか外に求めるかという点で大きく分かれるようである。
左派は、主要な原因を客観的な社会制度に、保守派は、その人自身に置きがちである。
左派は、「あなたが貧しいのは社会に抑圧されているからだ」と考え、右派は、「あなたが貧しいのは怠け者だからだ」と言う傾向があるというわけだ。それぞれが、それだけで十全でないことは明らかではないだろうか。
(つづく)