諸悪莫作の世界

takase222008-01-01

元旦、東京はからりと晴れた。初詣に行く。
たくさんの人が行列をつくり祈っている。「今年一年、健康で幸せでありますように」。絵馬には、それぞれの願い事が違った筆跡で書いてある。良きことへの願い、祈りが境内にあふれている。これだけでも、元旦はいいものである。
お正月らしく、写真は百両(カラタチバナ)を撮った。
新年にあたり、ブログ日記タイトルの「諸悪莫作(しょあくまくさ)」について触れてみたい。これは、「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」という句で、お釈迦様を入れて七人の仏陀が共通に教えたことの中身だとされる。普通は「諸々の悪は、作(な)すこと莫(なか)れ」と読み下して、「悪いことはしちゃだめだ」と解釈されるのだが、道元は全く違った読みをする。
正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』に「諸悪莫作」の巻がある。道元はここで、悪も善も「無漏(むろ)」(煩悩ではないこと)で「実相」(真実)だと言う。この世で起こる全てのことは、そのままで清らかで真実の姿だという意味だ。実体としては善も悪も存在しないことになる。さらにこう続く。
「諸悪は、此界の悪と他界の悪と同不同あり。先時と後時と同不同あり。天上の悪と人間の悪と同不同あり」。
「悪」と一口に言っても、場所、時間、住む世界によって、同じだったり違ったりすると言っている。奴隷制が非難されない時代もあったことなど思い浮かべれば、とりあえず理解はできよう。
こうして道元は、世界の全面的肯定と善悪の徹底した相対化を行なう。では、良いも悪いもないのか。いや、ある。高次のレベルでの倫理がある。それは、「諸々の悪は、作(な)すこと莫(な)し」。
普通は、本能、本心に従うと「悪」で、それを我慢してする義務が「善」だ。だが道元は「なすことなかれ」とがんばるのではなく、「なすことなし」、自然に心の底から「諸悪莫作」が願いとして湧き出てくる境地を語る。
こんなふうになれたらいいなあと思っている。そして少しでもその境地に向かって歩んでいきたいとブログに「諸悪莫作」とつけた。もともと心の成長について書きたいと思っていたのだが、去年は時事問題が主になってしまった。
私には岡野守也さんという人生の師がいる。(岡野さんのブログは「岡野守也の公開授業+α」http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992
17年ほど前に出会い、「この人についていったら覚ることができる」と確信して、勝手に「グル」と決めた。坐禅を手ほどきしていただき、道元の世界を案内してもいただいた。
今年は、岡野さんに教わった考え方も盛り込んで、「覚り」を含む人間の本当の生き方を自ら問い、また問題提起してみたいと思っている。それは、私がいったいこれから何をしたいのかを見つめることにもなるはずだ。
今年もどうぞよろしく!