一身の為に独り解脱を求めざるべきのみなり

takase222014-12-13

某政党の選挙ポスターのそばに紅葉したドウダンツツジ

ご存じの方も多いと思うが、「ポリタス―総選挙から考える日本の未来」というサイトが選挙について役に立つ情報を提供してくれるので、紹介したい。
http://politas.jp/

例えば、いつもどうしたらいいか迷う最高裁裁判官の国民審査。ポリタスにはいろんな情報が載っている。
国民審査の意味とそれぞれの裁判官の業績を解説する記事がある。
http://politas.jp/articles/226

ジャーナリストの江川紹子氏は、分からなかったら全員に×(バツ)をという意見。
http://politas.jp/articles/231

升永英俊弁護士は、5人のうち3人に×(バツ)をとアピールしている。
http://politas.jp/articles/280

みなさん、明日は投票に行きましょう。
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きょう、東京はよく晴れた。
運よく休めたので、坐禅の会に参加してきた。
会場は六義園の心泉亭(しんせんてい)。六義園はこないだ、母と紅葉狩りに来て、人の多さに驚いたが、きょうはさすがに寒くなったからかとても静かだった。縁側からみる冬枯れの庭園が美しく、坐禅には絶好の環境だった。
きょうは初心者用の坐禅会。
岡野守也先生の指導で、そもそもなぜ坐禅をするのか、しなければならないのかを理論的に学び、脚の組み方、姿勢の作り方、呼吸法などのイロハを実習したあと、実際に2本坐った。
私は気合を入れて、作務衣に着替え。いつも一人で坐っているので、こういう場は、初心に帰り、基本に立ち戻るとてもいい機会になる。
理論編は、道元の「正法眼蔵坐禅儀」と「禅宗四部録」の「坐禅儀」の二つがテキスト。

坐禅は習禅にはあらず。大安楽の法門なり、不染汚(ふぜんな)の修証(しゅしょう)なり。》
坐禅は、禅を習うことではない。大いなる安楽という真理への門なのである。本来煩悩の汚れが染みついていないということを実修体験し覚っていくのである。(正法眼蔵坐禅儀)

《それ般若を学ぶ菩薩は、先ずまさに大悲心を起こし、弘誓(ぐぜい)の願をおこし、くわしく三昧(ざんまい)を修し、誓って衆生を度し、一身(いっしん)の為に独り解脱を求めざるべきのみなり》
そもそも覚りの智慧を学ぼうとする者は、まず何よりも大悲の心を起こし、弘大な願を立て、心を込めて禅定を修行し、すべての生命あるものを救うことを誓うべきで、自分一人のために解脱を求めてはならない。(禅宗四部録坐禅儀)

よく知られた教えの言葉をあらためてかみしめた。
菩薩は、衆生を救うために智慧の力を養うのであって、自分一人が悩みから脱して気持ちよくなるために覚るのではない。大乗の真髄である「智慧」と「慈悲」の二本柱だ。

そして、二つとも「時間を無駄にするな」と我々を急かす。
《光陰を護惜(ごしゃく)すべし。頭燃(ずねん)をはらふがごとく坐禅をこのむべし》
時間を惜しむべきである。頭にかかった火の粉を払うように(他の何よりも優先的に)坐禅を好んで行うべきである。(正法眼蔵坐禅儀)

《それ禅定の一門は、最も急務たり》《一生取弁(しゅべん)するも、なお蹉跎(さた)たらんことを恐る》
そもそも禅定の一門は、最も急務である。一生努力しても、まだ間に合わないかもしれない。(禅宗四部録坐禅儀)

サボらずに毎日坐禅しよう。