スーチーさんも沈黙するロヒンギャ問題

takase222015-06-20

きょうは難民の日。
ロヒンギャ問題がニュースになっている。
仏教徒が多いミャンマーで少数派のイスラム教徒「ロヒンギャ」が難民化している問題で、首都圏で暮らすロヒンギャや支援者ら約40人が「世界難民の日」の20日、東京都渋谷区でデモ行進し、問題の解決を訴えた。
 デモは、日本に住むロヒンギャでつくる「在日ビルマロヒンギャ協会」が呼びかけた。国内にロヒンギャは約230人おり、日本政府に難民認定を求めている人もいる。
 同協会事務局長のカン・モハメドさん(45)は「ミャンマーで暮らす母は移動の自由がなく病院にも行けない。仕事も食べ物もなく、大勢の若者が国を脱出してボートピープルになっている。日本政府はミャンマーに迫害の停止を働きかけてほしい」と訴えた。
 ミャンマー政府はロヒンギャを自国民と認めず、国内の移動や結婚を制限している。2012年にミャンマーラカイン州で民族衝突が頻発し、十数万人のロヒンギャが難民化した。周辺国に密航船が相次いで漂着し国際問題化している。》(毎日新聞

これは、けっこう難しい問題だ。
1990年代はじめ、バングラデシュに逃げてくるロヒンギャを取材したことがある。
避難民が到着するところを撮りたいと海岸でカメラを持って待ち構えていた。はたして、ちょうどよく、そんなシーンに出会えるのか不安だったが、それは杞憂だった。
避難民を満載した船が、次から次へとやってきて、ロヒンギャの人々と家財道具を浜辺に下ろしては、また新たな避難民を乗せるために沖へと戻っていく。
近くの空き地や丘は、イスラム諸国が配ったテントで覆われていた。
このロヒンギャ難民問題を、当時の国際社会は、ビルマの軍事政権による民族抑圧の一つと理解していた。すなわち、最大多数のビルマ族以外の、カレン族、カチン族、シャン族などと同列の被害者だと。
私もはじめ、そう思っていたのだが、取材するうち、「ちょっと違うぞ」と感じてきた。

ビルマ族だけでなく、他の諸民族も、ロヒンギャビルマという国を構成する民族だとは考えていないのだ。
ロヒンギャ」という言葉を使うことさえ拒否している。英国の植民地時代にバングラデシュから流れこんだベンガル人の不法移民にずぎないというのだ。
1982年の市民権法では、ロヒンギャは「国民」ではないとされ、国籍を与えられていないが、この措置を、他のビルマ国内の諸民族は認めている。

日本には、軍政下での抑圧を逃れたさまざまな民族のビルマ人が住んでいるが、3年前、私はロヒンギャの居住する西端のラカイン州の主要民族、アラカン族の若い男性と知り合いになった。
彼は、私の仕事を知ると、ロヒンギャの悲劇にばかり注目するメディアの偏向報道を批判した。いわゆるロヒンギャなる人々は、ビルマへの違法越境者であるにもかかわらず、どんどん人口が増え、アラカン族を圧迫している。先祖から受け継いできた土地も彼らに奪われ、仏教寺院は破壊された。「われわれアラカン族こそ被害者だ」と最後には涙まで流して切々と訴える。
その翌日は、スーチーさんの誕生日で、日本にいるすべての民主化支持勢力が集まるが、そこに「ロヒンギャ」が来るなら、僕は行かない、とまで言う。
彼と一緒にいたシャン人の女性も、「ロヒンギャ」はともにビルマ民主化を闘う仲間ではないときっぱり言った。
ここまで強い拒否感があるのかと、とても驚いた。

翌日、スーチーさんの誕生日を祝う会に顔を出してみた。
ビルマには130の「民族」がいるとされ、会場は色とりどりの民族衣装を着た人々が集まって交流の宴が催された、ロヒンギャの姿はなかった。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20120617
一人、鬚をたくわえた彫りの深い風貌の男性がいたので、「ロヒンギャですか」と聞くと、「私はムスリムだが、何代も前からビルマに住む一族であり、ロヒンギャではない」という。ビルマには、中国雲南省から南下した回族を含め、いろんな出自のイスラム教徒がいるが、彼らは自分たちが「ロヒンギャ」とは違うことを強調する。
ロヒンギャを擁護、支援する勢力は、ビルマにはほとんどいないと言ってよい。

中央政府少数民族の停戦と融和を訴えているスーチーさんはどうか。
ロヒンギャ問題が、これほど国際的に大きなニュースになっているにもかかわらず、彼女はずっと沈黙を守っている。
ロヒンギャに国籍を与え、国民として受け入れよ、などと発言したら、スーチーさんは政治生命を失いかねない。
(「スーチーはなぜロヒンギャを助けないのか」ニューズウィークhttp://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/05/post-3667.php
スーチーさんはきのう誕生日で、70歳になったが、どういう政策で対応するつもりなのか。注視したい

ビルマは、2010年の総選挙のあと、民政に移行したが、これまで軍政に抑えられてきた国内の各グループ間の鬱屈した対立感情が表面化してきた面も否定できない。
民主化はかくれていたものを表に出す。
民主化運動の暗部も http://d.hatena.ne.jp/takase22/20130417
共産党独裁が崩れた旧ユーゴでは、国家が分裂し、民族・宗教の異なる集団同士が凄惨な殺し合いをはじめた。
このことを思い出し、心配がつのる。