良き日本人を変えたもの

藤沢市岡野守也先生をかこんでの忘年会があり、はじめて参加させてもらった。
4時間以上にわたって、グル(guru) と仰ぐ先生の話を親しく聞くことができ、実にありがたかった。これで、心豊かに年を越せそうだ。
幸福、仏教、宇宙とさまざまに話題がめぐるうち、日本人はどうあるべきか、次世代をどう育てていくのかという話になった。
戦後、日本では子どもに対して「君は君の好きなように生きていい」という教育がなされてきた。戦争への反省、批判もあってこうなったのだが、これが大問題だと岡野先生は言う。「好きなように」と言うとき、主観にしか生きる価値がなくなってしまう。好きなように生きていいなら、好きなように死んでいいということになる。
「君は君の好きなように生きていい」というのは、つまりは「みんな勝手にやれ」ということだ。そうしたうえで、「自己を確立せよ」などと言われたら、もう子どもはどうしていいか分らなくなると思う。確立すべき「自己」に全く規準がないのだから。
こういう教育を受けた若者が「なぜ人を殺してはいけないの」という問いを発しても何の不思議もない。
私は、イザベラ・バードが明治初期の日本を絶賛していることを紹介した。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89
風景や社会制度だけでなく、日本の人々を驚きをもって褒め称えている箇所がたくさんある。
《私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり(略)・・。他人の子どもに対しても、適度に愛情をもって世話をしてやる。父も母も、自分の子どもに誇りをもっている。(略)
(子どもたちは)とてもおとなしくて従順であり、喜んで親の手助けをやり、幼い子どもに親切である。私は彼らが遊んでいるのを何時間もじっと見ていたが、彼らが怒った言葉を吐いたり、いやな顔つきをしたり、意地悪いことをしたりするのを見たことがない。》
《英国の母親たちが、子どもたちを脅したり、手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は、日本には見られない。私は、子どもたちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、いろいろな遊戯の規則を覚えることである。規則は絶対であり、疑問がでたときには、口論して遊戯を中止するのではなく、年長の子の命令で問題を解決する。子どもたちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。私はいつも菓子を持っていて、それを子どもたちに与える。しかし彼らは、まず父か母の許しを得てからでないと、受け取るものは一人もいない。許しを得ると、彼らはにっこりして頭を深く下げ、自分で食べる前に、そこにいる他の子どもたちに菓子を手渡す。》
《(病院で)私は、外科患者の示す忍耐力に非常な感銘を受けた。彼らは非常に烈しい苦痛にひるみもせず、うめき声も立てずに我慢する。》
《どこでも警官は人々に対して非常に親切である。抵抗するようなことがなければ、警官は、静かに言葉少なく話すか、あるいは手を振るだけで充分である。》

(以上、『日本奥地紀行』(平凡社)より)
ここに描かれた古き良き日本は、いまどうなっているのか。
(つづく)