中国人民抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利80周年記念行事(戦勝節80周年記念)で招待され、9月2日に中国を訪問した金正恩・国務委員会委員長は、翌日の閲兵式(軍事パレード)に習近平国家主席、プーチン大統領と並び立ち、朝中ロ3カ国の連帯を誇示した。

この訪朝に娘を同行して注目されたが、ここまで来ると、もう娘は次期後継者に決まったと見るしかないだろう。北朝鮮では「尊敬するお子さま」、「尊貴であられるお子さま」、「最も愛するお子さま」と呼ばれており、まだ名前は知らされていないという。(磯崎敦仁慶大教授による)

日本や韓国では娘の名をKim Ju‑Ae(キム・ジュエ)とされているが、これは米バスケットボール選手で元NBAのデニス・ロッドマンが、2013年に北朝鮮を訪問した時に聞いたという情報が元だった。もしそう聞いたとしても、朝鮮語の分からない彼では正確な発音は期待できない。
かつて、金正日の料理人、藤本健二氏が息子の名は「ジョンウン」だと言って、はじめは正雲(정운)と報じられたが、実は正恩(정은)だった。日本人にはどちらも「ジョンウン」と聞こえるから間違うのも無理はない。
ともあれ、このままの体制が続くと、金日成から数えてなんと4代目への世襲となるわけで、世界の全体主義の中でも特異な体制ということになる。
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前置きが長くなってしまったが、国連の人権高等弁務官事務所(OHCHR)の9月の報告書では、拉致問題にも触れている。
《2014年2月17日、調査委員会は報告書を公表した。委員会の任務と報告書を否定しつつも、当初、北朝鮮政府は人権問題に対処するため国際社会と関与する姿勢を強めているように見えた。これには、離散家族の再会行事の開催、日本人拉致被害者問題への関与、国連人権高等弁務官および北朝鮮人権状況特別報告者との高官級会合の提案、人権高等弁務官の現地訪問を受け入れる招待、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)との技術支援に関する対話の開始、子どもの権利条約選択議定書の批准などが含まれていた。
しかし、こうした前向きな動きは長続きしなかった。2014年12月に国連安全保障理事会の議題に「北朝鮮の人権」が追加された後、これらのいくつかは撤回された。
2011年12月に金正恩が国家元首として就任した後、脱北者たちは国内状況の改善への期待感を抱いたと報告している。新指導者は2012年4月、「国民が再びベルトを締めなくてもよいようにする」と約束し、経済発展と核開発を同時に進める新たな国策(「並進路線」)を掲げたためである。
しかし比較的早い時期から、2013年半ばには政府および軍内部で粛清(その結果として複数の処刑が行われたと報じられる)が始まり、さらに抑圧的な措置が導入された。2010年代の終わりまでには、政府による国民生活のあらゆる側面への統制は数十年来で最も絶対的なものとなった。
この統制強化は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による国境閉鎖の期間に加速した。監視技術は統制強化を助け、過去7年間で、抑圧を法的に裏付ける法律、政策、手続きの採用が顕著に増加している。》
最初に調査委員会が報告書を出したのが2014年2月。同年5月にはストックホルム合意がまとまっている。「北朝鮮政府は人権問題に対処するため国際社会と関与する姿勢を強めているように見えた」とあり、その一つに「日本人拉致被害者問題への関与」があげられる。
ところが、2010年代の最後には、「政府による国民生活のあらゆる側面への統制は数十年来で最も絶対的なものとなった」(the most absolute in decades)のだった。
2010年代には、自分の叔父で後見人だった張成沢氏を残忍な方法で処刑(2013年12月)し、さらに親族や関係者数千人(一説に7千人)を巻き添えで粛清したと言われるまた、2017年2月には、異母兄の金正男氏をマレーシア空港でスパイ映画のように暗殺している。
彼は、金王朝3代の中で、もっとも凶悪な支配者と言ってよいかもしれない。
(つづく)