ウクライナを変える市民社会3

 サハリン(旧樺太)から残留日本人とその家族が5年ぶりに一時帰国した。きのう新宿で一時帰国者をかこんで歓送会があり、私も参加してきた。

NHK札幌

新宿での歓送会。左手で挨拶する白い服の女性は、日本人の父と絶滅が危惧されるウィルタの母をもつ北島リューバさん。サハリンの民族構成も多様である。(筆者撮影)

 1989年からサハリンの残留日本人、韓国朝鮮人を取材したことは私の原点の一つだった。多くの日本人とその子孫から、戦後処理に翻弄された人生を聞かされ、一緒に美空ひばりを歌った。

takase.hatenablog.jp

 当時、ソ連と韓国は国交がなく、私の取材テープを無料で韓国のプロダクションに託したことにより韓国初のサハリン残留韓国人の番組が実現した。実態が全く伝えられていなかった韓国では大反響を呼び、すぐに大韓赤十字が動いて残留韓国人の一時帰国から永住帰国へとつながっていった。

 あれよあれよと事態が動いて、たくさんの人の念願が叶うという、取材者名利に尽きる体験だった。常に取材で世の中を変えようという気持ちが働くのは、この時の強烈な体験から来るのかもしれない。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20200726
https://takase.hatenablog.jp/entry/20200117

 きのうは懐かしい人に会って、旧交を温めた。私の取材時、サハリン日本人会の中心でお世話になった近藤孝子さん(現在は永住帰国している)は93歳。握手しながら「これが最後にならないように」と願った。

 気になったのは、残留日本人の家族にもウクライナに動員されている人がいること。プーチン政権は、モスクワやサンクトペテルブルクなどの大都市からの動員数を極端に少なくし、遠隔地や少数民族地域から大量に兵士を動員またはリクルートしている。ここは残留日本人の家族が無事であるよう祈ろう。
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 平野高志さんウクライナ市民社会についての記事より。

 《選挙制度でも、長年の議論を経て大きな改革が実現している。ウクライナの最高会議選挙は、小選挙区比例代表選挙が半々だったが、小選挙区では地方の小富豪が利益誘導・バラマキ型の選挙運動で当選することが多く、彼らは最高会議で既得権益層となり、改革の阻害要因になる傾向があった。そこで選挙問題に取り組み国内最大の市民団体「オポーラ」などが立ち上がり、小選挙区制を廃止して完全に比例代表制へと移行することを提起した。また、比例代表制でも、政党があらかじめ当選順位を決める拘束名簿式ではなく、得票上位者から当選する非拘束名簿式の導入を主張した。これには政党や小選挙区出身の無所属議員から激しい抵抗があったが、2019年の法改正で「オポーラ」の主張する通り、小選挙区制を廃止し、非拘束名簿式の比例代表制とすることが決まった。次期総選挙(現在は戒厳令が出ているため実施時期は未定)では、利益誘導型の地方富豪や不人気な政治家の当選が減少することが見込まれている。

 「オポーラ」代表のオリハ・アイヴァゾウシカは、民間の選挙問題専門家として名高いが、興味深いのは、政権側に彼女の能力が認められ、ロシアとの間のウクライナ東部情勢解決協議(ミンスク協議)のウクライナ代表団の一員に任命され、2016~18年にドンバス被占領地での地方選挙の合法的かつ民主的な実施に向けた協議に参加していたことである。政権が民間の専門家を信頼し、国の代表として敵国代表者との協議に参加させるという稀有な官民連携のケースであった。》

 選挙制度の変更はどの国でも簡単にはいかないものだが、ウクライナでは民間NGOをはじめ市民社会の勢いが強く、見事に実現している。

 補足すると、ウクライナは地域的にも民族的にも多様な国で、そこにロシアの政治的・経済的・文化的な介入も加わって、東西両極の地方では政治意識にも大きな差が見られた。

 大統領選挙をとってみると、2004年、2回目の投票(決選投票)がオレンジ革命でやり直しになり、再度行われた選挙では、西部のハーリチで90%以上の票が、当選した親欧州派のユシチェンコに入ったのに対し、ドンバスでは同じ割合の票が、元ドネツク州知事で親ロシア派のヤヌコーヴィチに流れた。10年の選挙でも、2回目の票の開きは同様で、このときは親ロシア派のヤヌコーヴィチが親欧州派のティモシェンコに勝利している。

 東西の違いを拡大したのが、親欧州派の政治家がウクライナエスニック(民族的)なナショナリズムに訴えてロシアの圧力に対抗しようとした政策だった。たとえばオレンジ革命後のユシチェンコ政権は、かつてソ連に対抗するためにナチスドイツと協力した右翼的民族運動を称えるなどした。また、マイダン革命後の暫定政権が、各地方の第二公用語を認めた言語法(注)を廃止しようとした。これはロシア語を締め出す企てと受け取られ、ロシア語を母語とする住民の反発を買った。ウクライナの課題は、エスニックなナショナリズムだけに頼らず、シヴィック(市民的)な国民的アイデンティティで国を一つにまとめていくことだった。

 (注)公用語ウクライナ語だが、2012年に成立した言語法では、地方で話者が10%を超える言語を政府機関や学校で使用できるとした。東部や南部の多くの地域では、この法律によりロシア語が第二公用語となった。

 ただし、地域による違いはとかく極端に描かれやすいと平野高志氏はいう。西端のハーリチと東端のドネツクの違いは大きいが、これをウクライナは東西分裂国家だ」と過大に描くのはロシアのプロパガンダだと警告する。「日本で言えば、沖縄県と北海道の住民だけを紹介して『ほら、南と北の住民は言葉も文化も食生活もこんなに違う、だから日本は南北分裂国家』というようなもの」で、これら二つの地域の違いは、ウクライナの国民としてのアイデンティティ形成に深刻な影響を与えるものではなかったという。
https://blog.goo.ne.jp/yuujii_1946/e/8e1cfaa09f8b0b04fb9f187394ae93ec

 ウクライナ人の国民的アイデンティティと一体感を高めるうえで大きな役割を果たしたのは、皮肉にもロシアのウクライナに対する露骨な圧力、さらにマイダン革命後のクリミア、ドンバスへのロシアの介入と侵略だった

 2019年の大統領選では、ユダヤ教徒でロシア語話者であるゼレンスキーが2回目の投票で、73.2%の得票で当選、リヴィウ地方をのぞく全地域でトップに立った。かつては著しかった地域による投票行動の違いが激減したのである。また、ゼレンスキーの政党「国民の僕(しもべ)」は独立後はじめて、連立なしの一党だけで最高会議(議会)の過半数を得た。また、現在では極右民族主義の政治的な影響力はほとんどない(極右は議会に1議席しかもっていない)。

 ウクライナはロシアからの強烈な経済的・政治的干渉を2004年のオレンジ革命、2014年のマイダン革命ではねのけた結果、市民の政治参加、ボランティアなどの互助活動が大きく広がり、自律的な市民社会の形成をもたらした。

 エスニックなナショナリズムではなく、シヴィック(市民的)な国民意識ウクライナが一つにまとまってきたのである。国家を持たなかったウクライナはいま、ロシアとの10年戦争を戦いながら、エスニックからシヴィックへと統合の原理を移行させながら、若々しい国民国家形成の努力を続けている。
(つづく)