石破所感に寄せて②

ペシャワール会カレンダー10月

 やっぱり命というのはですね、
 水が元手なんだなあと、
 わたしはつくづく
 思いましたですね

 ペシャワール会カレンダーの10月は、中村哲医師の『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』からの言葉が載っている。ガザの人たちが、きれいな水さえ得られないでいることを思う。

 

 以下は、石破所感の冒頭部分―

 1941年夏、首相直属の研究機関総力戦研究所アメリカとの戦争をシミュレーションした。30代を中心とした若手研究生36人が集められ、部外秘のデータも使って1ヵ月間の検討の結果、「戦争は長期戦になり、日本の国力は数年で尽き、終局ソ連参戦を迎えて敗れる」との結果になった。経済指標で見ても、太平洋戦争開始時の日米は、GDPでも粗鋼生産でも10倍超の差があり、数字上も国力の差は歴然だった。それなのに、日本は同年12月にアメリカとの戦争に突入していった

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 たとえば、総力戦研究所には、軍民各界から若くて有能な人材が集められ、法曹界からは三淵乾太郎が抜擢されている。朝ドラ「虎と翼」の主人公の再婚相手である。

 「総力戦研究所の第一回研究生は、官民各層の最も有為なる代表的中堅青年を厳選の上36名を入所せしめて、(略)司法部を代表する研究生として、今回東京民事地方裁判所判事三淵乾太郎君が選抜せられ・・・」と『法律新報』(611号、昭和16年)に記載されている。

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 総力戦研究所の結論は「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から3~4年で日本が敗れる」というもので、原爆投下以外は、きわめて正確な予言だったとされる。ソ連参戦も予想していた。

 この結果は、8月下旬には近衛文麿内閣に報告されたが、東条英機陸軍大臣が「戦争はやってみないと分からない」と葬り去られた。

 石破氏は「総力戦研究所」に強い関心を示している


 総力戦研究所が知られるようになったのは、猪瀬直樹昭和16年夏の敗戦』からで、中公文庫版には『中央公論』2010年10月号に掲載された猪瀬氏と石破氏の対談が再録されている。

 石破氏は小泉内閣防衛庁長官をやっていた2003年にこの本を読み、「読み進めるうちに、恐怖心にかられたことをよく覚えています。『自分はこんな事実も知らずに長官をやっていたのか』と」と語る。

 ここでの石破氏の発言は、今回の石破所感を理解するうえでも興味深いので、紹介してみよう。

○国のトップが総力戦研究所の結論を無視したことについては―

 「『軍の論理』が、正統な判断をねじ曲げた。もっと言えば、国の指導者たちは『この戦争は負ける』と分かっていて、開戦の決断を下したのですね。『文民統制』がきかなくなると、こんな悲劇が起こるのだということを、「総力戦研究所」の挫折は身をもって私たちに教えてくれています」

○軍部が政党を引きずり込んで、政治が司るべき「軍政」を丸ごと手中に収めようとしたことについては―

 「軍部は潤沢な資金を使って、政治家のスキャンダルを握り、あるいは『接待攻勢』で丸め込んだわけです。そうやって、軍の上層部も政治家も、『負けるのが分かっている戦をやる』方向に、どんどん傾いていった。そこには、本当の意味での『国策』はなかったのです。欧米では当たり前の、『どう始めて、どのようにやめるか』という『戦争設計』さえなかった」

○対米戦を回避できなかったのかについては―

 「例えばですが、石油を確保したいのならば、オランダだけを攻めてインドネシアを落せばいい。何も初めから米国相手に勝負を挑む必要はないわけです。

 日本の植民地からの撤退を求めた『ハル・ノート』が、開戦への引き金になったと言われるのですが、要するにあれは、『資源はやるから植民地を手放せ』ということでしょう。世論を説得して乗る余地もあったはずです」

○2007年に予算委員会で、当時の安倍首相に文民統制についての見解を質したことについて。この『昭和16年夏の敗戦』について聞くと事前通告して質問したという―

 「(当時の空気に)危機感というか、微妙なズレ、違和感というのが正確ですね。『戦後レジームからの脱却』も『集団的自衛権の事例研究』も『美しい日本』も、主張自体はいい。ただ、安倍さんの発言を聞いていると、果たしてどれだけの裏打ちがあっておっしゃっているのだろうと、ふと疑問を抱くことがありました。例えば、あの戦争がなぜ起こったのかを理解したうえで、『集団的自衛権』を口にしているのか?」

○2010年8月2日、民主党政権下で、管直人首相に「文民統制」に対する見解を迫ったときのことについて―

 「評価するとすれば、私は『自衛隊の最高指導者として、統合幕僚長をはじめとする四幕僚長と会うべきだ』とお話ししました。8月19日でしたが、初めての会談を持った。一度も会おうとしなかった鳩山前首相に比べれば、ずっと誠実です。ただし、冒頭で『予習してみたら、防衛大臣って自衛官じゃないんだね』と発言されて、周囲を絶句させたという」

○石破氏は実は制服組から「この野郎」と思われていたという―

 「例えば、『北海道に、あんなに大きな戦車部隊が必要なの?』と問題提起するわけです。『ロシアが攻めてくるのか?』『あの原野で、戦車戦が展開されるのか?』と。

 今は『テロの時代』。時速70キロの戦車が到着した時には、すべてが終ってますよ。それよりは、120キロの装輪装甲車の方がいいのではないか。費用は五分の一以下です」

 「私は『軍事オタク』とか『プラモデルオタク』とか言われましたが、何が問題なのでしょう?税金を5兆円近くも使っている組織を相手にするのだから、その現場を少しでも知ろうとするのは当然のことです」

・・・・

 管直人首相が、閣僚は文民でなければならないのを知らずに、防衛大臣って自衛官じゃないんだね」とあっけらかんと言うのには驚いた。

 「平和ボケ」以前の問題。また、軍事について無知な方がよいと思っているリベラル派の政治家がいるが、それでは政権を任せられない。莫大な防衛予算を何にどう使うのかについての見識がなければ、ほんとうの文民統制はできないだろう。

(つづく)