原始仏教から中国禅への発展・進化②

 上田結香さんの最近の短歌より―

「新聞を取っていない人がいるそうね。天ぷらはどうするのかしら」と叔母

「あなたらしい」私のことをよく知らない人ほどそんな言い方をする

 くすっと笑えて、ちょっと考えさせられる。
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 映画『黒川の女たち』について。

 黒川開拓団は、数えで18歳以上の女性たち15人をソ連兵の「性接待」にあてた。ベニヤ板で作った「部屋」に、「呼び出し係」が毎回数名の女性を呼んで、女性1人当たり4人のソ連軍将校を相手に性交させたという。隣には「医務室」が置かれ「洗浄係」が洗浄するというシステムとしての接待所が運営されていた。性病や発疹チフスで4名が現地で死亡したほか帰国後長期入院した人もいたという。

 みんなのためにと犠牲になったのに、故郷に引き揚げたら、性接待を命じた開拓団の幹部までが「ロスケにやられた汚れた女」などと彼女らを貶め、村に住めなくなった。その彼女たちが満州も酷かったが、日本に帰ってきてからの方がずっと辛かった」という言葉がやり切れない。

乙女の碑

 岐阜県白川町の佐久良太神社境内に「乙女の碑」が1982年に建立されたが、何の慰霊碑なのか説明は無かった。性接待させられた女性たちが証言するようになった後、2018年に碑のそばに説明文が建てられた。その中に次の文章がある。

《黒川開拓団は、昭和十二年(一九三七年)に国策として始まった「満蒙開拓」により、満州国吉林省農安県に送られた。しかし、この「開拓」という言葉の裏には、当時、現地に暮らしていた中国の人々から強制的に土地を収奪し、その既耕地や居住地を奪い取るという、侵略と略奪の非人道的な行為が隠されていた。団員たちは、祖国日本の食糧問題解消と大陸の開発という美名のもとに送り込まれたが、その実態は、日本の加害の歴史の一翼を担うものであった》

 「開拓」とは名ばかりで、既に耕されていた畑を奪い取っただけだったと、はっきりと侵略であったことを認めて反省し自己批判している。戦後70年以上、集落全体で隠してきた暗部を、当事者たちが勇気を出して語り、それをメディアが報じたことがきっかけとなって、人々が自分たちの加害の歴史と向き合ったのである。

 私はその事実にとても励まされ、教訓にしなくてはと思った。
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 前回の続きで岡野守也さんの講義より―


 それで、何を言いたいかというと、私たちが出家ではなく在家の人間として日々生きていることの中に、もうすでに空という事実があるということです。

 空とは縁起であり無常でもあることは、お話ししてきたとおりです。そして、ふつうの人々や俗世間から離れ、どこかの静かな僧院に行って、ひたすら瞑想生活をすることによって覚るのは、病気の方が病院に長期入院して病気を治すことに譬えれば、手順としてはある種必要なところもあります。

 けれども、病気の方は入院した後、どうしますか? ずっと入院し続けるのが健康になるということですか? 健康になったら病院から出てきて、また日常生活に戻るでしょう。ですから一般的な体の健康も、そして心の健康も、やはり日常生活にこそあると私は思っています。

 ゴータマ・ブッダは、人々があまりにも病んでいるので、いったん入院生活をさせないとどうにもならないし、しかも心の健康のレベルを非常に高く見ているので、お弟子さんたちもまだまだ退院できないと判断したのでしょう。弟子に外に出て布教するといったことを少しはさせましたが、在家に戻ることはお勧めになっていません。

 ところが般若経典の菩薩たちは、一回その高みまで行く必要はあるけれども、その後に再び日常生活に戻ることのほうが大事だと言うのです。

 その場合も、維摩居士のようなモデルを描いています。維摩居士は非常にお金持ちで、そして社会的な地位もあり、しかしながらブッダのお弟子さんたちよりもはるかに深い覚りを開いていて、その中身はこうだという経典が『維摩経』です。そのようなところに示されている人間像が、特定宗教の仏教として正当であるか、あるいは原形をとどめているかといったことを離れて、普遍的に意味が深いと思われるのです。

 単なる出家者としての人間像ではなくて、在家の中で自らの心が浄化され、そのことをさらにすべての人に広げていく、しかもこの世に仏の国土を作っていくところまで目指す。そういう菩薩の心のあり方、あるいは在家の菩薩という人間像こそが、レベルアップした普遍的な人間像だと私は捉えています。

 ですから、仏教であるかどうかもある意味でどうでもいいし、「本来の仏教はどうであるか」と議論をしてもしょうがないという気が、私にはするのです。

 むしろ「仏教として原形であるか」「正当であるか」といったことを離れて、人類にとって、しかも未来に向かって、より普遍的に意味と価値のある人間像は、大乗の菩薩像のほうにあると考えています。

 さらにそれを日々の、それこそご飯を食べたりお茶を飲んだりすることの中にも真理が現われてくる、というところまで深めた禅のあり方のほうが、より普遍的だと考えています。

 ただ中国禅では、残念ながら時代状況のせいもあって、仏教者が「菩薩として仏の国土をこのように実現しよう」と思っても、皇帝制度の枠の中にありますから、非常に難しいことでした。それで、在家とはいっても「政治から離れた個人の生活の中で、真理の生き方を実現していく」というふうな形になって、仏国土建設運動のようなものはほとんど見られませんでした。

 そこは大乗として非常に残念だったと思っているのですが、まあ特定の人物や特定の派にすべてを求めるのは欲張りすぎというものです。それに、「人に文句を言っている暇があったら、まず自分が統合的に活動しなさい」という話になってきます。

 私としては、ゴータマ・ブッダの仏教、原始仏教、そして部派仏教、大乗仏教という流れの中に大きな発展があり、さらに中国禅にもある側面での深まりがあると捉えていて、今回はまさに日常生活の中で真理を見出す、真理そのものとして日常生活を生きる、ということが語られている「家常」の巻を学んでいきたいと思います。

 私たちは、毎日毎日やっていることを、ごく平凡な、つまらない、意味のないことと捉えがちになります。「雑用」という言葉がありますが、「何で私がこんな雑用をしなきゃいけないの」みたいな気持ちで、日々のやらなければいけないことを、私たちは雑用として、不平不満の気持ちでやってしまいがちです。

 でも、大乗仏教が目覚め覚ったところによれば、私たちの日常生活から何から、すべての一瞬一瞬に全部、空あるいは一如があるわけです。だからそういう眼から見れば、雑用などというものは一つもなくて、すべては成すべきことを成すことなのです。

 そのような捉え方をしたのが、禅の「作務(さむ)」という言い方です。「作(な)す務(つと)め」と書きます。

 作務とはもともと、例えばお掃除するとか、ご飯を作るといった「作(な)すべきこと」をまさに「作(な)す」ということで、雑用をすることではありません。この会場にも作務衣の方がいらっしゃいますが、「雑用ではない」という心構えで日々のことをやる時の服装が、作務衣の本来の意味なのです。

 本来の覚った人・仏も、それを脈々と伝えていく祖師も、日常の生き方の中には、しっかりと心を込めてお茶を飲み、ご飯を食べるといったことが含まれています。「活計」とはそういう意味で、そこには非常に活き活きとした働きがあるのです。

 遡れば、そこから伝わって「而今の現成」があると。他の巻でも出てくる、「まさに真理が今ここで実現している」という道元禅師の言葉です。

 日々ご飯を食べお茶を飲むことの中に、ほんとうに生きることがある。私たちはぜひ、そういう生き方をしたいものです。先んじて言ってしまえば、そこに宇宙の一部としての私の、今・ここで生きていることが、ありありと現われるということですね。
道元禅師のやや難しい、しかし味わい深く格調高い言葉を通じて、再認識しながら学んでいきたいと思います。
岡野守也「『正法眼蔵』「家常」巻講義①」サングラハ第201号より)

 この岡野先生の考察は、ゴータマ・ブッダと日本の大乗仏教との関係をはっきりさせると同時に、仏教の考え方を現代にどう生かしていくのかを考えるのに有益だと思い紹介した。