「政治の意図」が統一教会を野放しにした

 

 統一教会(通称)と政治の関係。

 岸田内閣、自民党はこのテーマをとにかくやり過ごそうとしており、関係をもった政治家たちが、統一教会ではなく宗教一般の話にしたり、「関連団体」が「統一教会とは知りませんでした」ととぼける作戦に出ている。

 そこで、こういう言い逃れを許さない、その通り!と唸った核心をつく台詞を二つ紹介したい。

 一つは7日の「サンデーモーニング」でコメンテーターの青木理さんのコメント

(これ、重要な点なんで繰り返しておかなくちゃならないのはね)「安部元総理の銃撃事件がパンドラの箱を開けた」ととらえるのは絶対まずいんですね。つまり、ああいう銃撃事件を起こしたことが、問題提起をした結果が、この問題を明らかにしたととらえると、ある意味で、暴力の連鎖を呼びかねないわけですから。これはこういう捉え方をしたら絶対まずいということは強調しておかなくちゃならないんですね。

 僕は逆なんじゃないかという気がしてるんですね、つまり、70年代、80年代から霊感商法とか合同結婚式とか数々の社会問題を起こしてきた、かなり反社会性の高い教団に対して、もっと早い段階で、警察だったりとか行政が、宗教法人格の適正性も含めてね、警察があるいは実態解明に乗り出すことをしていれば、被害はその時点である程度おさえられたわけですね。ところが、それをしなかった。

 僕自身の経験でも、90年代なんですけれど、僕が警察の取材をしてたら、警察が統一教会のことを調べ始めたんですよ。僕も取材してたんですけれども、ある時期にピタッと止まって、その理由を尋ねたら「政治の意図だ」っていう話が僕も聞いたことがあるんですね。

 つまりその段階で調べていれば、ちゃんと、こんなに被害が広がらなかった、あるいは被害が続かなかった可能性があるわけですね。そうすると、今回の事件はおそらく起きてなかったかもしれない。ということを考えると、政治の意図とか不作為によって、教団が野放しというか、温存されてしまった結果として、今回蓄積したものが爆発して事件が起きてしまった、っていうふうに僕は捉えるべきだと思うんです。

 そうすると、やっぱりこれを機に、きちんと政界と統一教会との関係というのを一回きちんと整理をして、統一教会というものとある程度、日本社会が訣別していかないと、また同じような事件が起きるんじゃないですか、っていうことを考えると、今回岸田さんを含めてね、自民党がもっと真剣に統一教会との関係、歴史的な面も含めてですけれど、調べて明らかにして、ここで決別をするっていうことをきちんと表明するべきだっていう風に僕は思います。

 ここで出てくる「政治の意図」は、有田芳生さんの言う「政治の力」に通じる。統一教会の窮地を「政治」が救ったとなれば、統一教会と政治の関係において、ここが一番の急所となる。

takase.hatenablog.jp

 

 つぎに、統一教会問題で独自の調査報道を続けてきたジャーナリスト鈴木エイトさん日本共産党の「旧統一教会問題追及チーム」に招かれて話をしたが、その中でこう語っている。

ジャーナリスト鈴木エイト氏

www.youtube.com

 政治家が自分から統一教会の関連団体にお金を払ったケースは「それほど重要視していません」としたうえで―

 逆に、統一教会側から数万円とはいえ政治献金とか受け取った議員は、これはもう金額の大小にかかわらずアウトだと思っています。

 それはなぜかというと、そのお金は統一教会の被害者のお金なんですね。被害者が収奪された、騙し取られたお金を結果的に政治家が手にしているということです。金額の多少にかかわらず、それは問題視すべきだと思います。

 この場で鈴木エイトさんはほかにも非常に内容の濃い話をしているので、視聴をお勧めする。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-08-05/2022080502_02_0.html

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 お知らせです。

 1945年8月9日、当時日本だった南樺太に突如ソ連軍が侵攻した。当時、40万人もの日本人が住んでいたが、日ソ中立条約があってソ連が攻めてくるなど予期していなかった日本側は不意をつかれパニックになった。

 ソ連軍のほとんど一方的な攻撃は8月15日を過ぎて22日まで続き、多くの民間人が犠牲になった。逃げ場を失って自決するなど、沖縄戦のような悲劇も起きている。

 今回のロシアによるウクライナ侵攻を彷彿とさせる事態だが、戦後、サハリンと名を変えた現地に残留せざるを得なかった多くの日本人がいる。

 彼ら残留日本人の帰国事業を担ってきたNPO法人「日本サハリン協会」の斎藤弘美会長のインタビューが、NHKの二つのラジオ番組で放送されます。

 残留せざるを得なかった事情や彼らの心情、そして戦後生まれながらサハリンに関わり続ける斎藤さんの思いを熱く語るすばらしいインタビューです。

 ウクライナ難民が話題になっていますが、他人事ではありません。日本人の難民にも思いをはせ、戦争と平和について考えていただければと思います。

8月8日(月)NHKラジオ第1 午前4時台「ラジオ深夜便
【戦争・平和インタビュー】サハリン残留日本人に思いを寄せて
NPO法人 日本サハリン協会会長・元 フリーアナウンサー 斎藤弘美

http:// https://www.nhk.or.jp/shinyabin/program/2b7.html


8月3日(水)・10日(水)NHKラジオ第2 午前10時30分 
「アナウンサー百年百話」(15分)(再放送 3日10日午後10時、 6日13日午後3時45分)
「サハリン残留邦人に思いを寄せて 前編(3日)」

https://www.nhk.jp/.../rs/MVYJ6PRZMX/episode/re/BR3LQ2P2GK/


「後編(10日)」では、ウクライナ在住のサハリン残留日本人の降旗さんをロシアの侵攻後、緊急の募金活動で日本に避難させる経緯も語られます。

https://www.nhk.jp/.../rs/MVYJ6PRZMX/episode/re/MZ2PZ3WLG7/

 私もサハリンに何度か通って残留日本人の取材をしました。日本にも「難民」がいたんだと知ると、ウクライナのことは他人事ではなくなります。

takase.hatenablog.jp

 このNPOは、本来日本政府がやるべき、残留日本人の実態調査、一時帰国、永住帰国を(政府がちっともやらないので)独自に行ってきた。日本サハリン協会によれば、現在生存している残留邦人はおそらく70名内外、これまで協会として3700人(延べ人数)を一時帰国として日本に呼び、137世帯309人を永住帰国させた。

 いま残留邦人は、コロナ禍とウクライナ侵攻で(ロシア極東と結ぶ便がなくなった)日本に来ることができないでいるという。

 ご関心あれば、上記ラジオ番組をぜひお聴きください。
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 猛暑のなか、せっせと本を読んでいる。

 私は「サングラハ教育心理研究所」のコスモロジーセラピー・インストラクターという肩書もある。去年から、セラピーに使える教科書を執筆し始めたのだが、ちょっと行き詰って、もう一度基礎から勉強しなおそうと、宇宙論を中心に読んでいる。

 この1カ月で読んだのは;

①ブライアン・グリーン『時間の終わりまで~物質、生命、心と進化する宇宙』(講談社、2021)
②カルロ・ロヴェッリ『世界は「関係」でできている~美しくも過激な量子論』(NHK出版、2021)
③ポール・ナース『WHAT IS LIFE? 生命とは何か』(ダイヤモンド社、2021)
④小林憲正『宇宙からみた生命史』ちくま新書、2016)
⑤アーヴィン・ラズロ『生ける宇宙~科学による万物の一貫性の発見』(日本教文社、2008)
⑥フランク・ウィルチェック『物質のすべては光~現代物理学が明かす、力と質量の起源』(早川書房、2009)
⑦村山斉『宇宙はなぜ美しいのか~究極の「宇宙の法則」を目指して』(幻冬舎、2021)
⑧日本科学情報『宇宙一わかる、宇宙のはなし』(KADOKAWA、2021)
⑨ローレンス。クラウス『宇宙が始まる前には何があったのか?』(文藝春秋、2013)

 あらためてここ20年くらいの宇宙論の急激な進化には驚かされる。

 ニュートンが、重力とは「質量をもつ物質の間に働く力」で、物質は質量に応じて重力という「力」でまわりの物質を引っ張るという「万有引力の法則」を確立したが、それをアインシュタイン一般相対性理論がそれをひっくり返して、重力とは「時空の歪み」だとなった。

 ニュートン時代の、何もない宇宙空間に物質が浮かんでいるイメージでは、主役は物質で空間は単なる背景にすぎないが、アインシュタインは主役を「物質」から「時空」に換えたのだ。

 それが近年さらに進んで、質量の起源もまた空間によって生み出されたものという理論が有力になっているようだ。

 「空間のほうが主たる現実(リアリティ)で、物質は、それが形を取って現れただけの副次的なものにすぎない」。(ウィルチェック=この人、2004年にノーベル物理学賞を受賞した超一流の研究者)
「一見すると空っぽに見える空間が、我々が存在するための種(たね)を含んでいる」(クラウス)というわけである。

 むかしむかし、宇宙空間は「エーテル」で充ちているという理論があっていったんは完全に否定されたのだが、それの現代版リバイバルみたいな考え方だ。

 これは世界観、ひいては人生観にどのような影響を与えるだろうか。

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