金正恩氏に告ぐ、東京地裁に出頭せよ

 金正恩氏に告ぐ。10月29日に東京地裁に出頭してください。


 すごいことになった。北朝鮮の最高指導者あてのこんな公告文が東京地方裁判所掲示板に張り出されたのだ。

 これは「公示送達」と言い、掲示して2週間が経過すると、その時点で書類の送達があったとみなされ、相手が出廷しなくても欠席裁判を進めることができる。(民事訴訟法第110条)

東京地裁の南側の掲示板に公告が張り出された(撮影:高世)

 いったいナニゴトなのか?

 これは北朝鮮帰国事業をめぐって、脱北者5人が、北朝鮮政府の責任を追及する訴訟「北朝鮮帰国事業裁判」の差戻審第1回口頭弁論の期日を金正恩氏に通知して、出頭を命じる公告だ。そして、いま進行中の裁判は、日本の裁判所が「国境を越える人権侵害事案」を審理する、これまでに類のない画期的なものなのである

 では、きょう都内で開かれた原告による記者会見より、何がどう争われているかを説明しよう。

霞が関の司法記者クラブでの会見。中央が原告の一人、川崎栄子さん(撮影:高世)

 1959年12月、北朝鮮政府が主導して、北朝鮮帰国事業が始まり、1984年までに在日コリアンや日本人配偶者ら約9万3千人が北朝鮮に渡った。年配の人なら、映画『キューポラのある町』で、吉永小百合演じる主人公、浦上ジュンの在日の友人、金山ヨシエが北朝鮮に向かうエピソードが描かれたのを覚えているかもしれない。

「帰国船」に乗る友人らが新潟に向かう列車を見送るジュン

 「帰国」の勧誘にあたっては、北朝鮮政府朝鮮総連が、かの地が「地上の楽園」であると虚偽の宣伝を行ったが、渡航後「帰国者」は劣悪な生活環境、市民的自由の侵害、差別・弾圧に苦しむことになった。

 そもそも「帰国」と言っても、日本の在日コリアンの9割以上は半島南部の出身で、故郷に戻るという意味での帰国ではなく、親戚や知り合いもない北朝鮮の地に移住させられたのだった。密告が奨励される監視社会のなか、ささいな不満を口にしただけで秘密警察に連行され、連座制のもと家族全員が政治犯収容所に送られた。日本からの「帰国者」のうち、2割から3割が消息不明になっている

 そこで2018年8月20日、命懸けで脱北して日本に帰ってきた5人の元帰国者たちが原告となって、北朝鮮政府を相手取り、以下の二つの不法行為にもとづき、各1億円の損害賠償を求めて提訴したのである。

①    虚偽宣伝により欺罔され北朝鮮渡航し、脱北まで数十年にわたり出国を許されず、基本的人権をおよそ享受できない環境での人生を余儀なくされたこと(国家誘拐行為)

②    原告の脱北後も、家族が北朝鮮に残され出国が許されず、家族と面会交流することができないこと(出国妨害行為)

 第1審判決(22年3月22日)は、北朝鮮政府が「朝鮮総連と共に、又は、朝鮮総連を通じて、北朝鮮の状況について事実と異なる宣伝による勧誘を行ったことにより、原告らが北朝鮮の状況について誤信し、北朝鮮渡航するとの決断をしたという客観的事実関係」を認定した。

 しかし、国家誘拐行為を「勧誘行為」(虚偽の宣伝で騙した)と「留置行為」北朝鮮から出られなくした)とに分断したうえで、

①    「勧誘行為」については、20年以上経っていて除斥期間が過ぎたことを理由に棄却。

②    「留置行為」については、日本の裁判所に管轄権がないとして訴えを却下した

 つまり、事実関係としては、たしかに北朝鮮在日コリアンをウソで騙して「帰国」させたことを認めながら、請求は認めなかった。原告は控訴した。

 そして、東京高裁の控訴審判決(23年10月30日)は、原判決を取消し、東京地裁に差し戻した。日本の裁判所に管轄権はあり、除斥期間は過ぎていないと、原告の言い分を全面的に認めたのである。

 国家誘拐行為については、「(北朝鮮政府が)北朝鮮での生活条件等につき事実と異なる情報を流布して北朝鮮渡航させ、渡航後は出国を許さずに在留させることにより、居住地選択の自由を侵害し、事前の情報と異なる苛酷な状況下で長時間生活することを余儀なくさせたという継続的不法行為の客観的事実関係の証明がある」として不法行為の一体性を肯定し、日本の裁判所の管轄権を肯定した。

 そして全体として一つの継続的不法行為とみるべき被控訴人(北朝鮮政府)の行為によって、控訴人らがいわば人生を奪われたことにより被った精神的苦痛について包括的に損害賠償を求めるものであることからすると、原審が除斥期間経過を理由として請求を棄却した部分についても、弁論を分離することなく審理判断の対象とすべきであるとした。

 つまり、第一審で、日本で行われた「勧誘行為」は時間が経ちすぎたから却下して、北朝鮮で行われた「留置行為」は外国のことだから日本の裁判所は裁けないとしたのを完全にひっくり返し、全体として一つの不法行為(「勧誘」と「留置」と分断せずに)だから、連続していて除斥期間の適用はなく、これは日本の裁判所で裁くことだというのである。

 というわけで、日本の裁判所が北朝鮮政府=金正恩氏を裁くという、すごい事態になっているのである。

 実はこの裁判は、北朝鮮による日本人拉致と深い関係があった。
(つづく)