トランプ氏狙撃事件で、「もしトラ」から「ほぼトラ」になるかという雰囲気だが、アメリカの政治は良くも悪くも世界に与える影響が甚大なので、関心を持たざるを得ない。
今回の事件でまた人気が高まったとはいえ、なぜ、トランプ氏があれほどの支持を持続的に得ているのだろうか。日本にいると、なかなか理解できない現象である。
国の方向性に「不満」と答えたアメリカ人は8割に近い。その不満を岩波新書の金成隆一『ルポ トランプ王国』①、同『ルポ トランプ王国2』②から拾ってみよう。
トランプ支持者の多い地域、まずは「ラストベルト」での声。指摘されるのは、グローバリズムがもたらす産業構造の転換や格差の拡大で「負け組」になった大量の人々の存在だ。
インディアナ州で7年間勤めた自動車部品工場が閉鎖され、解雇された労働者。
「私の時給は当時23㌦だったけど、メキシコでは2㌦と聞いた。私たちにはお手上げだった」(①P122)
ペンシルべニア州の元炭鉱労働者の妻。
「石炭産業は盛況で、労働者は稼ぎたいだけ稼ぐことができた。街の中心部には映画館が3つもあり、自宅から10セントのバスで毎週映画を見に通っていた。街全体にモラルがあった。公立学校では聖書をきちんと教えていたので、みんな勤勉で、礼儀正しくて、犯罪も起きない。外出時も就寝時も自宅にカギを掛けたことなどない。他人の子も自分の子どものように大人がしつけをしていた」(①P170-171 )
家族の形態も急速に変わっている。初婚同士の両親(異性婚)のもとで育つ子どもの割合は1960年の73%から半世紀後の2014年に46%まで減少し、シングル・ペアレント(ひとり親)の家庭の子どもは9%から26%に増加した。(ピューリサーチセンター)(①P171)
アメリカ人の不満は経済的な状況だけではない。社会の急変によるコミュニティ、家族を含む人間関係、個々人のモラルの崩壊にかんする不安も募っているようだ。
「私たちが育った頃は、授業が始まる前に学校で毎朝お祈りがあったのです。毎朝です。そうやって私たちは育った。ところがマダリン・マーレイ・オヘアという女性(リベラル派の活動家)が裁判を起こして、お祈りを学校から追放してしまいました。それ以降です。アメリカ社会が変わり始め、ついには『メリー・クリスマス』も言わなくなった。『私はキリスト教徒ではないから聞きたくない』という人が出てきて、すると店は誰をも喜ばせる必要があるので、『ハッピー・ホリデー』と言うようになった」。妻がため息をついて言う。「私たちの長年の習慣を変えてしまった。習慣を変えることはキツイ。誰でもそうでしょう?」
ドンがもう一つ、具体例を挙げた。「『モーゼの十戒』の石碑も公共施設から撤去されました。この国で何が起きているのか理解できません」(②P224-225)
彼らは皆、まじめに働き、隣人と仲良く暮らしたいと願う善良な市民である。「間違っている」とすぐに否定することなく、また「民度が低い」と軽蔑することなく、これらの声に耳をかたむけると、追い詰められた魂の叫びのようにも聞こえる。
彼らの不満は、この世に自分がいるわけ、人が生きて死ぬ意味、絶対に守るべき倫理など実存的な問題、いわゆる「ビッグクエスチョンズ(Big Questions)」に関わっている。
「生きる支え」が奪われそうになって不安に駆られた人々が、USA!を連呼しながら、「古き良きアメリカ」を取り戻すと約束するトランプ氏に惹かれていくのはある意味、自然な成り行きだろう。
いま世界はこれまでの宗教的コスモロジーが崩壊する人類史の画期を迎えている。これまでの確固とした世界観・人生観が崩れゆく不安が、イランやアフガンをはじめイスラム社会を席巻する「ムハンマドに還れ」の波、そして「美しい日本」を取り戻すとする我が国の保守主義など、「復古」の形で現れているのではないか。
民衆の日々の人生の支え、倫理の根っこをめぐる混迷が、世界の政治までをも奥深いところで動かそうとしているように見える。