トランプ支持のまっとうな人々

きょうは母に頼まれた用事などをして夕方から、「地球永住計画」主催のイベント「オーロラの光る地球に住むということ」に参加した。

関野吉晴さんが司会をするというので行ったのだが、会場は「多摩六都科学館」のプラネタリウム。すばらしいオーロラの映像を見ながら、地球でオーロラが光る理由からはじまって、人類はじめ地球に暮らす生き物が太陽系のなかでいかに微妙なバランスの上に存在しているのかの説明を受けた。https://www.facebook.com/events/1803160603272070/
このところ、睡眠不足が続いていたので、途中居眠りをしてしまったのだが・・。終ってから関野さんに挨拶に行くと、「オーロラの出現がどんどん少なくなっていくから、見るなら今のうちにフェアバンクスに行かないと」と言われた。見に行ける日がいつか来るのか。
・・・・・・・・・・
 三浦小太郎さんのブログがとてもおもしろい。
 《「アパラチア越え目指す就任式 トランプ氏支持者に同行」(朝日新聞)この素晴らしい記事を読んでいて、本多勝一の「田中角栄を圧勝させた側の心理と論理」思い出した》http://miura.trycomp.net/?p=4169

 「新大統領トランプの就任を祝うため、20日、支持者が全米各地から首都ワシントンに集まった。車で、バスで……。記者は、反エリート意識が強い中西部のラストベルト(さびついた工業地帯)からアパラチア山脈を越え、首都への道のりを、熱心な男女3人の支持者の車に同乗した。・・・」http://news.asahi.com/c/aiemeUugnsp3vAad
 今朝の朝日朝刊に載った記事は、トランプ支持の庶民の心情を伝えていて、私も、ああ、だからトランプが勝ったんだなと納得できるものだった。記者が同行したのは、オハイオ州の労働者の多いトランプル郡のトランプ陣営の男女3人のボランティアで、タキシードやドレスを新調して車に乗り込んだ。就任式に出るのがうれしくてたまらない。
 茶店で働くデイナという39歳の女性は、4年前、弟をヘロイン中毒で亡くしている。もう一人の女性レッジーナ(46)の弟も薬物中毒に苦しんだ挙句、自殺したという。
《世界の「常識」でどんなに笑われようが、デイナとレッジーナはかまわない。トランプが掲げた「メキシコ国境沿いの壁」は真剣な提案だった。「薬物の流入を食い止めて欲しい」》
 トランプ支持者たちの口からは、米国の地方の激しい荒みようとトランプにかける熱望が吐露されている。

 朝日のこの記事、たしかに面白い。だが、これを紹介した三浦さんのブログの文章がなお興味深い。
 保守派論客三浦さんだが、「公正に認めるべきところは認めないといけないからね」と断わってこの記事を高く評価している。
 《トランプ旋風を、様々な国際関係やアメリカの経済分析を通じて、大所高所から分析する記事や発言はあった。しかし、この記事のような、「世界にどんなに笑われても構わない=マスコミや文化人の意見なんかに自分の人生や意志を売り渡してたまるか(意訳)」という立場のトランプ支持の庶民を、大変暖かい視線で、決して上からの批評をすることはなく紹介したものは決して多くはなかった。朝日新聞にこういう記事が載っていることの価値は大きく、大げさに言えば、今後のリベラリズムにとって重要な視点を示したといえます。TPPがどうとか中国、台湾とかでこのような人たちはトランプに投票したのではなく、もっと言えば、トランプそのものに投票したというより、自分たちの信じるアメリカの姿を守ろうとしたといってもいい。》

 次からの文章がすばらしいので長いが引用したい。
 《この記事を読んで真っ先に思い出したのが、本多勝一ロッキード事件直後、田中角栄が新潟で圧勝した時に書いた記事「田中角栄を圧勝させた側の心理と論理」でした。当時も、新潟県民は汚職の象徴を当選させた、地元の利害しか考えないのかという声はずいぶんあった。しかし本多勝一は直接、新潟に根を張って頑張っている農民、地元の政治家をきちんとルポし、彼らの本音に迫ろうとした。たぶんあの時の本多には、この人たちの論理をきちんと組み込まなければならない、彼等こそある意味グラスルーツ、見捨てられた地方の本音だという意識があったと思う。私は本多氏の多くの主張にも報道記事にも正直全く共感しない人間ですし、そのジャーナリストとしての姿勢にも疑問を感じることがありますが、この記事は素晴らしかった。

 そして、この記事で紹介されていた農民詩人岡部清氏の詩集が、今ネットで読むことができます。一つだけ「帰郷」という詩を引用します。他の詩も読みたい方は「農民詩人 岡部清詩集」で検索ください。
 
国境のトンネルを超えると

汽車はまだら雪の山肌に突き当たって
出稼ぎ帰りのおれたちを放り出す
ホームに立っても 今日の日の言葉がないから
重く吐息してうつむいて歩き出すだけ
おれたちはそこに帰って何があると言うのだ

泣きたくなるような

山脈のみどりはあっても
もうそこには
若者達の胸を躍らせるものはない
融雪でにごった川べりに
くずれかけた家があって
そこへ干ダラのような母たちが居る
雪かきに疲れ果てた 雑巾のような妻たちが居て
その懐で乾いて飛びはねる力エルのような子供たちが居るからなのか
ああ

山肌にへばりつく
わずかな棚田
今年も又一軒
老婆の屍の様な廃屋がとり壊されている
ゴマのしぼりかすのような体をひきずって帰郷する谷間

そこはもう疲れて憩う場ではない
行く手をさえぎって立ちはだかる
まだら雪の守門の山肌は
おれたちの生存をさえ拒絶する
http://www2.next.ne.jp/~sirayuki/ok.p.147.html

三浦さんのいうように、トランプの正邪、善悪をどうこうする前に、そこにある深層を真に理解したいと思った。