春の叙勲に、外国人枠で、タイのプラティープ・ウンソンタム秦さんが旭日中綬章に選ばれた。
プラティープさんとは・・・
「Prateep Ungsongtham Hata(1952年8月9日)はタイの政治家および社会活動家。バンコククローントゥーイ区スラムでの教育活動が評価され、1978年マグサイサイ賞受賞。ドゥアン・プラティープ財団の事務局長。2000年-2006年までタイ上院議員を務める」(wikipedia)
肩書に「元タイ日友好議員連盟副会長」とあるのは上院議員時代のもの。
プラティープさんは、クロントイのスラムに生まれた。12歳のときに仕事で貯めたわずかな貯金を元に夜学に通い、若くして私塾「1日1バーツ学校」を開いた。学校に通えないスラムの子供たちを1バーツの授業料で教えたのだ。
海外でもその活動が知られ、「スラムの天使」などとも呼ばれた。
クロントイ・スラムは、タイ港湾公団の土地に不法に住みついた地区で、立ち退きをめぐって激しい争いがあった。プラティープさんは政府とかけあって、近くの土地に移転して合法的な暮らしを営むことができる解決策をかちとった。1987年に、クロントイ・スラムを支援してきた「曹洞宗ボランティア会」(SVA)の秦辰也さんと結婚。たしかお子さんが2人いるはずだ。
1992年、軍事クーデター(スチンダー・クラープラユーン将軍による)に反対し、「民主連盟」の委員会リーダーのひとりとなった。
軍事政権に狙われて身を隠していたときのこと、私は彼女の行方をさがしてインタビューしようと携帯に電話した。潜伏中なのできっと通じないだろうと思ったら、プラティープさんがすぐに電話口に出た。いまどこにいるかは言えないが、安全なところにいるから心配しないで、とのことで安心した。
後でわかったのだが、彼女はなんと日本大使公邸にかくまわれていたのだった。
当時の大使は、後に政治評論家としてメディアにもよく出ていた岡崎久彦氏だった。(岡崎氏にテレ朝の「サンデープロジェクト」への出演交渉したのは私だった)
私は1980年代、バンコク駐在中、クロントイ・スラムをよく取材した。後に夫となる秦さんや曹洞宗ボランティア会の他のメンバーとも親しく、足しげく通ったものだ。
先日、部屋を片付けていたら、私と彼女のツーショット写真が出てきた。秦さんに見てもらったら、スラムの移転のころだろうという。1984年か85年だ。
懐かしい思い出がたくさんある。
ところで、タイは今も軍事政権だ。プラティープさんはそれに反対の立場(のはず)で、今回の叙勲はタイの軍政への日本の不快感をしめした? まさか、日本はそんな大それたこと、絶対しないよねw
私が森本喜久男さんと出会ったのもそのころ。このスラムで大火事があった日だった。森本さんは、来日したプラテイープさんが、京都の彼の友禅工房に見学に来たことからタイとの縁ができ、移住することになったのである。
人生はめぐり逢いである。
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きょうのGLIM SPANKY お勧めは「時代のヒーロー」
♪夢見る馬鹿でいよう 雲をつかみにいこう
誰だって保証はない ならば刺激ある将来を
切り開いて変えてやる あとに続けよ
イエーイ
聴いてるとどんどん元気になる。