金正恩の母親の肉声を初めて聞いた。
5日、6日と「第7回北朝鮮に自由を!人権映画祭」が開かれ、日本で未公開の作品が多数上映された。
なかでも興味深かったのが、幻の高容姫(コ・ヨンヒ)映画『偉大なる先軍朝鮮のお母様』(2011)。彼女を偶像化してまつりあげるために作られた映画である。

金正恩が後継者として内外に縞されたのが2010年9月の朝鮮労働党代表者会で、人民軍大将、党中央委員、中央軍事委員会副委員長に就いた。この映画は、翌年2011年12月に父の金正日が死去するまでの間に、金正恩が正統な後継者であることをアピールするために急遽制作されたと思われる。



ところが、この映画の公開には幹部らが一斉に猛反対したという。それは映画には「お母様」のお言葉が流れるが、わずかな日本訛りがあり、在日と分かると危惧したからだった。北朝鮮の外では知られているが、高容姫は日本生まれの在日コリアンで、「帰国運動」のなか家族とともに北朝鮮に渡っている。
お蔵入りになったこの映画が中朝国境から密かに流れ、この日の上映となった。
高容姫
1952年 大阪市生野区鶴橋に生まれる
1962年 第99次帰国船で北朝鮮へ渡る(小4のとき)。
1973年 「万寿台(マンスデ)芸術団」のスターダンサーとして日本公演
1984年 金正恩を出産
2004年5月24日 胚がんのためパリで死去
この日講演したジャーナリストの五味洋治さんは、金正恩に単独インタビューして、彼が金正恩への権力世襲に反対し、中国流の改革開放を支持することを世界に知らしめたスクープで知られる。高容姫についてはその出自と行動を長年にわたって調べ上げ、『高容姫「金正恩の母」になった在日コリアン』(文春新書)にまとめている。なお、これまで高英姫と漢字で記載されてきたのが間違いで、高容姫が適当であることを五味さんは確定した。
高英姫の英は영(yeong)だが、実は용(yong)。日本語で発音するとどちらも「ヨン」となるが、後者の漢字は容や用、勇に該当する。北朝鮮では漢字を使用しないのだが、高容姫あたりが妥当だろうというのだ。彼女は革命烈士陵に葬られており、墓石に고용희と刻まれていることが写真でも確認されているという。

五味さんによれば、高容姫は偽造旅券で何度も海外旅行をしており、日本ではディズニーランドや美空ひばり館も訪れたという。金正日の寵愛を受けた彼女だが、その出自を生涯隠し続けなければならなかった。その人の出自が人生を決める北朝鮮では、在日コリアンは「動揺階層」または「敵対階層」であって、金ファミリーは汚れ無き「核心階層」の血統でなければならないのだ。
高容姫が金正日に最も寵愛された愛人(正式の妻=金正男の母親が別にいた)でありながら、その出自を隠し一生「日陰者」として生きなければならなかったことが、金正恩に大きな影響を与えた可能性を五味さんは指摘する。母親コンプレックス、アイデンティティの混乱で悩んでいることが背景にあって、疑心暗鬼を募らせている可能性である。それが、叔父であり彼の後見人でもあった張成沢(チャンソンテク)をむごたらしい方法で処刑し数千人に上るとも言われるその関係者を粛清、さらに異母兄の金正男をまるでスパイ映画のような手口で暗殺するという残忍な所業を重ねることにつながっているかもしれない。近年、公開処刑の頻度も高くなっているという。
ただ、金正恩自身は母親のふるさとである日本に特別な思いをもつと五味さんは推測する。また、「戦後補償という形で、堂々とお金を取れるのは日本だけ」(五味さん)であることも確かで、拉致問題の交渉はつねに可能だろう。
金正恩には抗日戦争の軍歴や国家建設の実績もなければ、純粋な「血統」もない。自分の権威に必要なのは、これまでにない新たな施策で実績を示すことだ。彼は建国以来の国是だった「朝鮮の統一」を捨て、韓国を別の国家とした。また父親の金正日が制定した独自の「主体年号」(金日成生誕の1912年を元年とする)を使用せず西暦にするなど、先代、先々代の理念や原則を大胆に否定するのも、このコンプレックスが関係しているかもしれない。
五味さんの話は、高容姫の出自から金正恩のパーソナリティ分析に及んだ。今後の北朝鮮との向き合い方を考える上でも興味深いものだった。