森本喜久男追悼写真展

 きょう、「IKTT森本喜久男追悼写真展」に行ってきた。(IKTT=クメール伝統織物研究所)
https://www.facebook.com/iktt.kh/?fb_dtsg_ag=AdwDti6l3mqwfG9nEASsMzrQ9CHtnllKhbV2_Rwe5dKCLA%3AAdyJEkdaBqxZcpMguzSUzbaB9dmAR6LhDawbfHrUNoFTlw

 カンボジアで途絶えかけた伝統の絹絣(きぬがすり)を復興した森本さんの1周忌(7月)が過ぎ、公募した思い出の写真で故人を偲ぶという企画だ。
 写真を見ながら懐かしさがこみあげる。同時に、森本さんはとんでもない事業をやりとげたものだな、とあらためて感心させられた。
 これは、バンコクのクロントイというスラムで子どもの教育に尽力し、アジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞したプラティープさんが来日し、京都の森本さんの友禅工房を見学に来たときの1枚(右がプラティープさん)。日本の伝統的なものを見たいというプラティープさんが友人のつてで工房を訪れた。1979年のことで、このご縁で森本さんはタイに移住することになる。


 タイのJVC(日本ボランティアセンター)の事務所にて(右が森本さん)。私が森本さんと出会ったのはこのころで、1984年、クロントイスラムで大火事が発生し、取材にいったら彼がいた。その前年の1983年、日本テレビの「愛は地球を救う」で、このスラムを舞台にしたドキュメンタリーを撮ったのが私のカメラマンとしてのデビュー作だった。ここで、のちにプラティープさんと結婚する秦辰也さんはじめ、多くの日本人ボランティアとも知り合うことができ、私の海外暮らしでもっとも思い出深い場所の一つである。


 プラティープさんは財団をつくり活動を広げ、その後、上院議員にまでなった。つい先日、プラティープ財団の40周年が、王族も列席して大々的に執り行われたことを秦辰也さんのFBで知った。光陰矢の如し・・・。プラティープさん、お元気そうで何よりです。(写真はプラティープさんと秦さん)
https://www.facebook.com/tatsuya.hata.90?fref=nf&__tn__=m-R


 内藤順司さん、石川武志さんなど、プロの写真家の作品も展示されていた。
 これは1998年に写真家の浅井寿樹さんがタケオで撮った写真。『アエラ』に載った浅井さんの記事がテレビ関係者の眼に止まり、テレ朝の『宇宙船地球号』で森本さんの活動が取り上げられることになった。IKTTはここから日本で知られるようになっていったわけで、これもご縁である。


 きょうの写真展では、森本さんの後を継いで現地で事業をプロデュースする岩本みどりさんが、この1年の動きを報告した。森本さんが作った織物の村「伝統の森」が、彼の没後どうなるのかと心配するむきもあったが、むしろ村が活気づいていると知り、とてもうれしかった。
 森本さんが亡くなったあと、作り手みんなが集まってこれからどうするかを話し合う機会がもうけられたという。すべての指示を仰いでいた絶対的なリーダーがいなくなり、むしろ作り手たちの自覚が高まったそうだ。みどりさんたちは、生産工程すべてを総点検してクオリティを高める工夫をし、さらに藍染めや古布のデザインの再生など、つぎつぎに新しい試みを始めている。頼もしいかぎり。写真展では、「新作」の展示販売も行われた。
 もう一つの変化は、IKTTの活動が、カンボジア人に知られるようになってきたことだという。これまでは日本人と一部の外国人が主な顧客で、地元カンボジアではIKTTの存在があまり知られていなかった。それが今年5月、首都プノンペンでIKTTの布を使った大規模なファッションショーを成功させたことで、ずいぶん認知が進んだという。そのイベントのために100人ものボランティアが力を貸してくれたという。
 IKTTのみなさん、応援団のみなさんが事業をさらに発展させていることに感銘を受けた。みなさん、すごいな。
 私にとっては、自分の原点の一つを振り返る機会にもなって、感慨深い一日だった。

自由に生きていいんだよ お金にしばられずに生きる

自由に生きていいんだよ お金にしばられずに生きる"奇跡の村"へようこそ