戦争遺跡になった松の木

 午後、畑にナスとトマトを植えた。

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トマトの苗を植え、シートをかぶせる準備をする

 きょうの主な収穫はサヤエンドウ。
 先月ジャガイモの種イモを植えたが、もうたくさんの葉を出し、花をつけていた。

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ジャガイモの白い花

 この季節、植物の強い生命力を感じる。

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 最近の楽しみは、自転車で近くの史跡を巡ることだ。

 十日ほど前の晴れた日、高幡不動尊金剛寺行った。関東三大不動の一つだという立派なお寺で、広大な裏山があり、素晴らしい新緑のなか、山歩きを楽しんだ。

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境内の白いシャガの花。新緑がすばらしい

 ここに来た目的は、松脂(まつやに)の採取跡を見るため。戦時中、不足するガソリンの代わりの燃料を作るべく採取されたのだという。増田康夫『多摩の戦争遺跡』新日本出版社 2017)で知った。
 探したが、山が広くて見つからない。寺務所に聞くと、採取跡が今はっきり分かるのは1本しかないらしい。他の松は枯れてしまったという。位置を教えてもらってやっと見つけることができた。

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傷痕が痛々しい

 松の幹にたくさんのV字型の切れ目が矢羽根状についている。

 この写真をFB(フェイスブック)に上げたら、長野県に住む旧友の郷土史家、桂木恵さんが、自ら出版に関わった『戦争遺跡 松の木は語る』ヤマンバの会、上田小県近現代史研究会 2016)というブックレットを送ってくれた。

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2016年12月「上田小県近現代史研究会」発行

 このブックレットで初めて知ったのだが、実は、民衆を動員して松から油を採取した戦時中の出来事は、ながく歴史に埋もれていたのだという。それを、彼の住む上田市の市民でつくる「ヤマンバの会」が掘り起こしたのだそうだ。そして、こうした松の木を「戦跡」として調査し記録する活動が全国に広がっていったのだった。

 その上田市民たちの活動がなければ、『多摩の戦争遺跡』に高幡不動の松が載ることもなく、私が自転車をこいで、それを見学に行くこともなかったわけだ。

 ブックレットのなかの、桂木さんが執筆した「はじめに」から、その辺のいきさつと、松の木の「戦跡」としての意味につき紹介したい。

 みどり豊かな長野でも、松枯れ被害が目立つようになったことから話は始まる。
《・・・この松枯れ被害は、里山にとどまらず、身近な神社や人家の松にまで及んでいきました。例えば、上田市浦里の馬背(ませ)神社東之宮では、2003年に参道の松がほとんど枯死しました。氏子たちは、生き残った一本の松を何とか助けたいと、自然保護団体の「ヤマンバの会」にその再生を託しました。故家氏(いえうじ)しげ子会長はじめ、会員の懸命な努力で松は奇跡的に助かりました。その活動は、松救済という本来の目的の他に思わぬ成果をもたらしました。助かった松の幹には、表表紙のような矢羽根状の傷が無数につけられていたのです。これはいったい、いつ誰が、何のためにつけたのか、疑問は深まり調査が始められました。

 じつは、この松こそが。戦争の歴史を伝える貴重な「生き証人」だったのです。
 日本政府と軍部が「本土決戦」を声高に叫んでいたアジア太平洋戦争末期、武器弾薬はもちろん、食料をはじめとした日常の生活物資さえも大幅に不足していました。とりわけ圧倒的に不足していたのが航空機用などの燃料でした。それは、戦争遂行がほぼ不可能なまでの事態に立ち至っていたのですが、政府や軍部は、戦争終結への道を探ろうとはしませんでした。それどころか、戦争遂行のために、航空燃料の代替品として松根油(しょうこんゆ)や松脂(まつやに)採取を全国各地に命じたのです。

 松根油とは文字通り松の根を掘り起こし、そこから油脂成分を取り出すものです。いっぽう松脂は、松の幹に傷をつけて、そこから出る樹液に含まれる油脂を取り出すもので、両者は採取方法と精製方法が違いますが、一括りに航空機燃料として集められたようです。それは、全国各地でおこなわれましたが、その事実は歴史に埋もれていました。とりわけ松根油採取については、当時関わった人々の記憶以外に具体的なものはほとんど残されていません。いっぽう松脂採取は、幹に無惨につけられた傷痕が残されましたが、これも当時を知る人々に説明されなければわかりませんでした。

 しかし、松根油と松脂を採取した痕跡は、戦争の愚かさと無謀さ、銃後の人々への戦争動員の実態と地域住民のそれへの対応を伝えてくれる、まぎれもない戦争遺跡です(以下略)》

 ブックレットによれば、はじめて松脂採取の傷痕のある松2本を「発見」した2003年6月27日以来、「ヤマンバの会」が調査で見つけた松脂採取松は、上田小県(ちいさがた)地域で、260本超になるという(2016年9月現在)。

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戦時中のポスター「全村をあげて松根赤だすき」「松根油緊急増産運動」「松の根から重油とガソリン」下段に「陸軍省海軍省・農商省・全国農業経済会」の文字

http://geo.d51498.com/ramopcommand/_geo_contents_/w_fushu_matsu/matu.html

 この松根油、松脂採取は、全国民を動員した大キャンペーンとして繰り広げられた。
 では、それが歴史に埋もれてきたのはなぜか。
(つづく)