鬼海弘雄「他人にも自分にもやさしくなれる写真を」

 医療崩壊じゃなくて行政崩壊のなか、季節はめぐり、もう「処暑」(しょしょ)になった。暑さが止まるという意味だが、まだまだ残暑はきびしそうだ。
 23日から初候「綿柎開」(わたのはなしべ、ひらく)。28日から次候「天地始粛」(てんち、はじめてさむし)。9月2日からが末候「禾乃登」(こくのもの、すなわちみのる)。 

 新里芋が出てくるころだが、今年の山形の芋煮会は、このご時世、やはり中止なのだろうか。
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 去年9月の鬼海弘雄さんのトークショー、きのうの続き。

 きのうの話題に少し補足すると、浅草で人間を撮影することについて、鬼海さんはこう語っている。

 《浅草を「場の触媒」と考えていた。インパクトのある被写体を求めていろんな町に出かければ効率はあがるが、人間の数だけが無機的に増えるコレクション図鑑になるきらいがあると思ったので、あえて撮る場所を定点にした。それでも、ゆくゆくは浅草の地をまったく知らない海外の人たちにも、何度でも観てもらえるようなポートレート集にしたいと願って通い続けた。》

 アンジェイ・ワイダ監督が、鬼海さんの写真に魅せられてポーランドで写真展を開くが、そのとき「ポ―ランド人は日本人と同じだね」と言ったそうだ。人間の普遍性を撮るという鬼海さんの撮影意図が、世界的な評価につながっているのだろう。

 人物を撮るときに背景を写しこむと、写真がその人の人生ではなく、こういう状況の中にこの人がいましたという「情報」になってしまう。そこで、背景はつぶして浅草寺の朱色の壁をバックに撮影することにしたという。

 《何十年も同じことを続けているのに一向に飽きないのは、人間の森の深さが持つおかしさと不思議さなのだろう。
 長い間続けているのに、人物を選ぶ基準はいまでも自分でよく分からない。あえて言葉にすれば、ポートレートを観る人たちが、普段持っている人間に対しての堅くなりがちな情とイメージを揉み解し、豊かなひろがりをもたらしてくれる人物と思っている。こだまのような波動が、生きることを少しだけ楽しくしてくれるからだ。
 ますます功利に傾斜しがちな現代社会では、他人(ひと)に思いを馳せることが、生きることを確かめ人生を楽しむコツだと思っている。そのことによって、誰もが、他人にも自分にさえもやさしくなることができるかもしれないという妄想を持っている。》(『PERSONA最終章』より)

 解説はこのくらいにして、きのうのトークの続きを―

 

 あるときから、人に「時間差」があると思い、10年、15年経って撮ったのがありました。
 すばらしい絵画というものに、写真という下品なもので何かできるとすれば、「時間差」だろうと思ったんですね。
 時間差を思い出すとき、例えば夫婦、友達を並べて撮れるというか。それを思いついたんですが、それだけで進めると、完全にコンセプトアートみたいになるから、写真集に5組ほしいなあと思って。全部それでやると、思い付きが透けて見えるから。そうすると現代アートっぽくなって意味がなくなるから。
 夫婦で撮ってなくても、一人でも、同じように人間背景を見れればいいと。少なくとも5組と思って撮りました。

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右が「中国製カメラ『海鷗』を持った青年」(1986)。左が「四十歳になったという、中国製カメラを持っていたひと(15年後)」(2001)

〈百々氏が、鬼海さんは、浅草寺ポートレート、東京の町と、写真のテーマが少ないことを指摘。〉

 人物の中にその人の生きた時間が撮れるんだったら、町も空間としての町ではなくて人の暮らしの染み込んだ写真が撮れる。それはまったく人間を撮るのと同じ、コインの裏と表として考えていく。

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町の「肖像」を撮る。『東京夢譚』より

 ヒマだから、歩いて、3本くらいの連載しかやってない。3本を、縄をなうようにやってきただけで。他の仕事なんか全然来ないからね。まあ、しょうがないから一人遊びをしているわけです。

 大工さんの写真を2本目か3本目に撮った時、日本人の肖像が撮れると思ったんです。

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大工棟梁(1985年)。鬼海さんはこれで日本人の肖像で「いける」と確信したという。

 それまでは、肖像といえば、ギリシャ系の彫りの深い人が肖像になるので、日本人のような扁平な顔の人たちは肖像にはなりにくいだろうと頭の片隅で思ってたんですけど、そんなことはない。同じような喜びや苦しみを抱えているはずだから顔にならないはずがない、と思って撮ったんですね。

〈インドでの撮影について〉

 最初の滞在は7ヵ月です。写真を撮るというより、インドが好きなんです。インドの空気を吸って・・。

 写真というのは、1日このくらいの仕事して、なんてやってたら仕事にならないんじゃないか。トータルにずうっと、森をつくるみたいなもんで、深く、深く。
 そのかわり、写真を「写真ごとき」とは言わせない。詩人や小説家と勝負しよう、という感じ。表現がどれほど完成度があるか。

 私はチェーホフはずっと好きで、大学時代に買った中央公論の全集、何回も読んでるんですけど、「この高みにはとても行けないな」という感じですね。このゆるやかななかに、やさしさ、きびしさがあって、写真家としてライバルになろうとは思わないですね、すごいなと。いつかたどり着きたい、その裾野くらいには行きたいと思って。

 でも、バカですよね、こんなのに憑りつかれてね。カネもないし・・(笑)
 こんどインドの写真が、『SHANTI』として『PERSONA最終章』と同じ筑摩から出る。(去年10月に出版) 

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    どのくらいの時間撮ってるのかなと数えたら、1日5時間で、5日で1枚でしたね。

 退屈したところからしかモノゴトは始まらないんですよ。アスリートみたいにストップウォッチ持ってやってんじゃなくて、何をやってんだ、というところから。モノゴトがなんか皮膚から染み込んでくるみたいなところから。
 興奮しているところからは、なかなか写真にはならない。退屈して、たぶん自分で撮るんじゃなくて「撮らされる」、「たまたま写った」というのが写真になるのかもしれない。
 
 金がないのは自分に能力がないからですよね。
 自分に篠山紀信さんみたいに力があってああいう形で(キャリアを)始めたら、こんな不良めいた考えはおこさないでしょう。どっかに、自分のコンプレックスを埋めるためにやる。
 たぶんコンプレックスって、みなさんが思うようなダメなものじゃなくて、それが、その人なりの土壌、土をつくる上で絶対必要なものなんです。コンプレックスをごまかして、普通の価値観を受けいれると、浅くなる。たぶん。
 一日行っても全然撮れない日が三日くらい続くと、非常に不機嫌になって、かみさん大変ですよね。(笑)

〈インドでの病気について〉

 コレラやったし、肝炎、犬に2回かまれました。(笑)

 インドでの暮らし方を日常にしないと写真は撮れないから。観光みたいになっちゃうから。見飽きないもの、退屈なもの。自分にとって退屈な、自分の今までの体験、経験が重要になって、それがないと個性、オリジナリティが生れてこない。
 オリジナリティというのは、選ばれたものの特権ではなくて、もしかしたら誰でも持ってるものかもしれない。

 写真が、誰でも撮れる、シャッターを押せば写ると言うのはメーカーのたわごとであって、それぞれの体験を形にすることができるという意味で、写真がいままでの表現形式とレベルが違うというのは。写真はそういうものだ。それにもう少し気付いてほしいという感じなんですけどね。

 たとえば写真の審査員なんかしていると、みんな、どこかで基準を持ってて、ここ100点、90点というのがあるんですね、そんなの壊して、地球が悪いんだと。素人に対して言うんじゃない、人間に対して言うんだね。
 普通のひとは、浜辺にヤシの木のシルエットがあれば、撮らざるをえない。晴着を着た娘がいれば撮る・・・でも「そんなもの撮るか!」ってですよ。心が震えて迷いながら撮っていくのが・・。誰でもいいっていうように撮らないでほしい。
 それができるのは素人、メシを食っていない人の特権なんですよね。私のようなこと言っても、審査員から賞に合格なんてならないと思いますが。審査なんてどうでもいいから、自分で写真集なり、詩集なりを出すつもりで森を築けばいい。

〈独特の魅力的なキャプションについて〉 

 あなたの体験から物語をつむいでください。ということで、私が説得することではなくて、それぞれの物語を作ってくださいという形でキャプションをつけますね。
 カメラの前に立ってもらう時間はほんとに短い、1日5分くらいとか。さっき撮った人のキャプション何にしようかなと考えています。

〈百々)45年1000人撮ったということですね。(鬼海さんによると28歳のときから1100人撮影したという)〉

 バカだよね。でも憑りつかれるってそういうことなんだよね。
 10時19分の列車に乗って、11時15分に浅草に着くわけ。そこから3時間くらい、全然空振りのときが多い。

 浅草に行くまでによく読んでる本があって、電車の中にもってく。幸田文さんの『台所のおと』、これはすばらしい本で。あと開高健さんの本かな。
 チェーホフはあらたまるから家でしか読まないけど、幸田文さんの『台所のおと』、料理の話なんですが、人の死について非常にいい短編がある。講談社文庫で表紙がテーブルにお銚子が乗ってる写真で、読むと全然違っていて。幸田文さんというのはすばらしい文章を書く人で、機会があったらぜひ読んでみてください。合う人には何度も木霊のように響いてくる。
 (電車で)本を読んで、自分の共鳴板を乾かして人を見つけにいく。 

 1日に3人も撮ると、ツキをなくすのではと思ってすぐ帰りますね。(笑) ツキみたいなものはあって、出会いというのか、自分で計算したものじゃなくて。そのときは「養老の瀧」でビールを飲むと。(笑)
 浅草の「養老の瀧」って、一人で行くと楽しいんですよ。周りのテーブルの人の話が非常に面白くて。銀座のおねえちゃんの話なんて・・行ったことないですけど。指紋のついたジョッキで飲む方がどれだけおもしろいか。(笑)
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以下、会場での質疑応答

Q私は関西出身で、先生は山形出身だが、地域性を意識するか?

 若いころ、関西に1年か2年住んでみたいと思っていました。私は浅草の人を撮っているわけじゃなくて、人類を撮っている。海外の人が見ても、人類とは何かというのを見せたいと思っていて。浅草の「下町」とか「人情」とかいうのは一切排除しています。
 たまたま私のスタジオが浅草であって、ヨーロッパの人が見てもアフリカの人が見ても、そこに同じ人間というものを発見してもらえればありがたいと思ってますので。
 大阪の新世界に私がカメラを持って行っても(意味がない)。浅草に限定している意味ですよね。

Q町の写真に関心があるが、いま町が変わっているのでは?

 流れとしては、新しい家は、ショートケーキみたいな家でね。人が住んでる悲しみなんかにじみ出てこなくって。どこに行っても同じようで。
 観察者の勝手な言い方だけど、街がうすっぺらに、どこも同じになっていく。商店街でも同じですね。チェーン店が同じものを同じ値段で売って、同じ標準語で話して。

 下町歩いてると、この店まずそうだけど、入る価値がある、なんて店がある。(笑) 暖簾をくぐると、カウンターで夫婦げんかしていたりすると、「いやー、これはいい店に来たなあ!」と。(笑)

 でも今はどこに行っても同じような価値観になって、人間の基準が同じようになっている。カネを持っているかとか、飾るのはダイヤモンドとかルイビトンとか。
 そんなものじゃなくて、錆びてて魅力あるってのがあるでしょ。黒サビになると錆びないんですよね。そういうのがなくなって、町が平坦になってきて、まあ、政治もそうですけどね。ちょっと悲しいですね。

 それは圧倒的に、人の働きが時間給に変わったからですよね。もとは手に職を持った人が下町だった。今の浅草つまらないですよ。観光客だし。昔は、カネをかけなくとも楽しめる場所だったんですよ。全然知らない同士が話し合ってて、友達になって、そのまますっと帰る。ああ、いい街だなと。

 ところが今は観光客が多いから、浅草寺自身が、あまり人に留まってほしくないんだね。(笑) だからベンチはなくす。回転率悪いのはダメ、お賽銭だけおいてって感じで。
 どこも「平坦」になってますよね。

 でも人間はもう一回、ルネサンスみたいなのが来て、人間に生きる意味があるんだということを問い直すんだと思います。それは商品や見えるもので示すものではないかもしれない、時間がかかるかもしれないですが。
 みんな、表現者になればいいんですよ。

〈最後に〉

 たくさん集まっていただきありがとうございます。これで心置きなく死んでいけます。(笑)
 もう少し体を取り戻したら、町を歩いて撮ってみたい。少し歩けるようになったら、それだけ撮って終わりにしようかなと思っています。町の写真も退屈しながら撮ったんですけど、よく、カネにならないことをやってきたな。
 町の写真はみな晴れの日です。歩いて気持ちよくなんないと。(笑) 雨の日に撮る写真家はいない。雨の日を撮るとすごく狭くなる。意味、味が一色になる。朝方だけとか撮ると、意味がすごく狭められるし。晴れた日だけですね。
 で、知らない行先のバスに乗って、この辺で降りようかなと降りて、あっちの方に駅があるから、きょうはあっちに歩こうかと10キロくらい歩いて。それで1枚くらい撮れるかどうか。3枚、4枚撮れることはない。
 そんなに簡単に報われるものではない。自分の判断を緩めると仕事は緩みますから。

 時代をまたぐようなものを撮りたい。100年先の人たちが見ても、同じような人間の悲しみとか・・。悲しみを持ってない人は人間になれませんから。
 そういう意味で、報われないけど、それに騙されて撮ってます。

 でもこのシリーズ(人物の肖像)は終わりです。10枚、20枚撮って加えることはないです。もうほんとに一巻の終わり。(笑)
 最終章です。