鬼海弘雄「お互いゆるやかに生きることが文化の希望」


 久しぶりに母親の様子を見に自転車で出かける。コロナ禍で外に出ないせいか、めっきり足腰が衰え、補助器を使っても歩くのが困難になったという。
 こうした体の機能の減退は多くの高齢者に共通だろう。認知症の症状が一気に進んだなどの話も聞く。生活形態が一変したことによる健康被害である。

 その行きかえりに見た花々。咲くべくして咲いている。

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百日紅が歩道を覆っている

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車道に張り出して咲くキバナコスモス

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ハナトラノオオシロイバナの競演

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 8月4日、鬼海弘雄作品展 王たちの肖像」を観に行こうと思ったら、2日前に終わっていた。残念・・

www.jcii-cameramuseum.jp

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つい酔っ払って、喧嘩をしてしまったという男。「王たちの肖像」の一枚。

 鬼海さんは尊敬する同郷の写真家で、写真だけでなく、文章も語りも実に魅力的である。 
 トークショーが好きで何度かうかがった。「おんなじことしかしゃべっていない」と鬼海さんはおっしゃるが、失礼ながら、古典落語みたいなもので、何度聞いてもおもしろい。哲学する写真家と言われるだけあって、笑ってお話を聞きながら、根本的なことを考えさせられる。

 鬼海さんのオフィシャルサイトに、去年9月に入江泰吉記念奈良市写真美術館で開催された、百々俊二氏とのトークショーYoutube映像があった。

www.youtube.com


 がんの治療に入られてから初めての、そして久々のトークショーだった。
 Youtubeで聞いてもらえばいいのだが、文字に起こしてみると、また違った味わいがある。鬼海さんの魅力の一端をお知らせしたく、紹介してみたい。(省略したり補ったりした箇所があります)

 

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 こんにちは。
 半年前からがんになりまして、頭もこうなっております。(帽子をとって髪のない頭を見せる)

 歳が歳なんで、「がんですよ」と言われても驚かないんですよね。
 いま、3冊くらいの本を出すのがリーチかかってて、なんでこんなにぴったし時間通りにいい病気が来たんだろうという感じで。3冊を出したいと思っております。

 1冊は『PERSONA最終章』と同じ出版社、筑摩から。同じ判型、同じ値段で。

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 『SHANTI』という写真集(去年10月25日発売)。ヒンズー語ですが、ハッピネスとは違う。
 ハッピネスというのは、欲望に割と忠実で、モノを持つとかいうこと。シャンテというのはもっと自然体で、不仕合わせもあたりまえ、という感じで受け取る。

 日本が農業国家だったころ、40年ごろまでは就業人口の60%くらいは農業ですから。そういう自然と一緒に生きてる社会の仕合わせ感、「仕方ない」と言ってそれでも欲望に振り回されないという。そのシャンテというタイトルでつくります。

 あとエッセイ集をつくって。秋に元気になったら、もう一回暗室に入って。東京をずーっと撮ってきたんですけど、それを1冊の本にしたいと思っています。
 佐伯(剛)さんが作ってくれた『Tokyo View』という本とまったく時代が重なるわけじゃないですけど、長い間撮ったやつです。

 写真撮り始めたときから、これしか撮ってないですから、人物は。(とぐるりと見まわす)

 ふつう、カメラ持たないですし、浅草の壁に行かないと人物写真は撮らない。
 ポートレートがその人の生きてきた内面というか、価値観というのが撮れるんだったら、人が住んでる街にも、単なる空間でなくて、暮らしの生きざまが写るんじゃないかと、人物写真とほとんど同時に街の写真も40何年間続けています。

 急激に社会が変わる時代に生きてきたものですから、たぶん人類の歴史のなかで、私たちほど、近代という形で生活形態が変わったのを経験した世代はいなかったはずです。
 朝飯のとき、薪で飯を炊いているおふくろの姿を見ているわけですし、稲作では腰を曲げて稲を刈る作業を見ている。そういうのが一挙に消費経済になっていって、世の中が急激に変わってきて。こんな変化を経た世代は全世界を通してないと思うんですよね。

 それがどのような形で蓄積して、知、知識という形でしか次の世代には伝えることがないと思うので、それがちゃんと伝えられるかどうかが、非常に重要なのかなと思っております。

 この会場に来るときに見た仏像の顔の良さ。「現代美術って何だよ!」って感じですよね。あれは「私が考える」というのより、もっと深い祈りとか、時間を隔てたときにしか持てない価値観ですよね。自分たちが生きてるときを代表しての仕事じゃなくて、もっともっと、祈りとか何百年という信仰がないと。

 例えばインドにアジャンタ、エローラという、石に掘った石仏群がある。私は行ったことないんですけど。一体彫るために300年くらいかけてノミを振るって一体ができる。それはどういうことかっていうと、人間が持っている時間の幅が全然違うということですよね。

 近代になって、欲望とか、得するとか。そうなると祈りがなくなっちゃって、いかに儲けるかとか、になってきて。
 ああいうもの見ると、人間というのは自分が生きてる時間だけじゃなくて、時代をまたぐ価値観がないと、お互いにゆるやかに生きられないんだろう。お互いにゆるやかに生きるっていうことが、文化の一番希望だろうなあと。
 前置きが長くなりすぎました。(笑)


〈百々さんが鬼海さんの経歴を紹介。

 1945年3月18日、山形県生まれ。高校卒業して県庁職員になるが、そこを辞めて、法政大の哲学に入って、写真を始める。法政の哲学の福田定良先生(雑誌に写真論を書いていた)のゼミにいて影響を受ける。〉

 
 県庁に入って親は喜ぶわけです。当時昭和38年で、山形あたり他に仕事ないわけですから。ちょうど急激に近代化という形で、社会構造が変わる時代だったんですね。いままでの農村、地域、血縁とかから都会、近代化というふうに。

 自分には実務的能力が全然ないんですよね。
 高校卒業して、今まで丸坊主だったのが髪を伸ばしていいし、背広着ればバーなんてとこも行けるしね。(笑) ああ、大人の世界っていいな、でもすぐ飽きるよね。それで、何かしたいと思って、大学に行きたいと。

 一番実務と関係ない学問は何か。哲学という無駄な学問があるらしいと、そこに入った。そこで、ほんとに仕合わせというか僥倖で、福田先生にめぐりあった。先生には生涯、36年間お世話になることになりますが、当時34冊くらい本を出されてて、映画評論も書いていた。

 山形で映画見たのは娯楽ものしか見てなくて、人間を描く映画っていうのがあるんだなとびっくりしたんですよね、それで表現といっても文章書くのは相当頭のいい人であって、私なんか出る幕はないと思ってたんです。それで、映像の魅力を感じたんです。というのは、文章というのは上から啓蒙みたいに流せるけど、写真、映像は、見る人が自分を主役にして読まないことには言葉が出てこない。

 映像はおもしろいと思って、福田先生と映画について話すようになって、親しくなって。映像について考えてみようと思った時、卒業が来たんですけど、定職を持つ気になれないで、いろんな肉体労働をして、25歳で写真を撮り始めて。

 最初、写真はシャッター押せば簡単に映るから、私くらいの能力でも写ると思ってはじめたんです。
 ところが、写真ていうのは実に「写らない」ものだと知った時から写真家になったんですよね。写真を、自分の、生きることの中心においてもいいかもしれないと。それでメシを食うなんて、思っていませんでしたけどね。

 

〈百々さんが、写真家は食えないということとデビュー作のマグロ船の写真(カメラ毎日)について話を向ける。〉

 

 写真撮るために船に乗ったのではなく、漁師として乗った。もちろん一番下っ端で。27歳のときだから。
 運動能力が一番さかんな中学、高校卒業するころからやらないと立派な漁師にはなれないです。

 25歳で写真はじめたけど、いかに写らないか、1年か2年たつとハタと気付くんですよね。似たようなものばっかり撮ってて、人のマネするような写真ばっかり。
 どうしたらいいんだろうと思った時、「自分の立ってる場所を変えよう」と思ってそれでマグロ船。私は百姓の息子で、体を使う仕事はそんなに嫌じゃなかったから。
 そのとき始めて写真を撮った。1台のカメラで撮って、280日くらい海にいたんですけどね。フィルム8本くらいしか撮らなかった。
 (鬼海弘雄オフィシャルサイトで一部を観ることができる)

hiroh-kikai.jimdofree.com


 (写真を掲載した)『カメラ毎日』の山岸章二さんという伝説的な編集長、すごい力のある人、根性悪かったですけど。(笑) 「写真家になったら」と勧められて、じゃあ写真撮ろうと思って。そしたら私の先生(福田先生)えらいですよ。体で覚えないと物事はダメだ、と。
 現像っていうのは、自転車と同じで3か月くらいで覚えるんですよね。覚えたからと、写真始めてすぐ撮ったのが、日本写真家協会の新人賞をもらうんですよ。
 それで、「ちょろいなー」と思って。(笑) 早く銀座で、六本木でお姉ちゃんと仲良くなる写真家になりたいなーと思ったんですけど。
 体で覚えるのは2倍か3倍やらないとだめだといわれて、尊敬する師匠だったから、言うこと聞いて3年現像所でいました。

 この(写真展の)写真は1台のカメラ、1台のレンズです。街の写真も同じ1台のカメラです。ハッセルブラッドというカメラの標準レンズ付きです。これ、福田先生が買ってくれたカメラです。 

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愛用のハッセルブラッド鬼海弘雄公式ツイッターよりhttps://twitter.com/hiroh_kikai/status/1164044977082527744

 こうやって撮るんです。(と上からファインダーをのぞく)お願いしてって感じですね。

 写真は、撮りたい人に会うのが非常に大変な作業。それは、文章でもなんでも、探すというのが圧倒的な時間なんで。立ってもらえば、2分とか3分で撮り終わる。

 初任給2万5千円のころ、ハッセルは60万円した。並行輸入でヨドバシで30万円という値段が出てたんですよ。
 福田先生とは、卒業してから毎週金曜日、喫茶店で会ってて、最初の30分はヘーゲルの『小論理学』読んで、あと話題はなんでもいいということで話してて。

〈百々)二人きりで?よっぽど好かれたんだね。〉

 それが躓きのもとですよ。(笑) 恋愛だって気を付けたほうがいいですよ。(笑)
 それで買ってもらったんですよね。たまたま60万円のカメラが30万円という話をしたら、先生は聞いているんだか聞いてないんだか分からなかったが、次に会った時、30万円ぽんと出してくれて。

 私はそんなにいいカメラもっていいのか、と。今だってルイビトンなんか持ってる人、山手線なんかで見ると殴ってやろうかと(笑) ライカをいっぱい十字にかけてる人もいるけど・・。そういうコンプレックスもってる私なんかには使いこなせないし、高すぎるし、(お金を)返せないといったら、
 「そんなこと深く考えることはない。一つのハズミとして買っておけ。自分の体が少し前に行くような気持ちで買えばいいことだから、そんな大げさにかんがえずに買っておけ」と。
 そのカメラで、全部そうです。(とぐるりを指す)人物も街の写真も撮ったのはぜんぶその1台のカメラです。

 私、映画が好きだったから、同じ映像表現として、写真なんて、誰と誰が浮気したとかどこで事故があったかとか、同じ映像表現でも映画、アンジェイワイダさんとかが好きだったんですけど、写真表現は一過性でしか表せないもの、表現としては実に浅いものだろうと思っていたんです。 

 そのとき、ダイアン・アーバスの写真をみて、ふつうの街の人を撮った写真が、なぜ繰り返して見ることができるのか、繰り返し見ても飽きないのかと思って。見る人の心の隙間に入ってくるというか、自分を思い出したり、自分を考えたりする写真があるんだ、と。
 見飽きない写真があることをダイアン・アーバスで教えてもらった。

 映画は共同作業で、自分はできない。制作費を取り戻すために誰にでも見てもらえる映画でないとだめだし、そういう能力はないし。写真だったら、カメラ1台あれば自分の表現ができるかもしれない
 そのかわりメシを食うということではなくて、メシを食わなければ一生続けられる。と思って写真を選んだ。

 カメラ1台と30ミリと望遠レンズだけでいい。ただハッセルブラッドってレンズだけで30万円くらいしますからね。レンズを買えない。となると、買えないことが自分の写真を規定する、質を規定する。レンズ1本で撮るということの意味を考えて、自分の写真にしていく。という意味で取りはじめた。
 あんまりフィルムは使わない。(被写体)2人で1本、12枚撮りで。以前は1本で3人とか。

 撮りたい人をさがすのが大変なんです。ずっと見ててさがす。さがすと壁に立ってもらって5分はかからない。ありがとうございましたで終わり。
 圧倒的に撮りたい人をさがす。なんでもそうなんだ、文章でもね。さがすときにいろんな人を見るから、作文のような文章を書くのでその準備をしている。さがすときに人の影をみる。

 いくらドラマチックな人生を歩んでいても写真にならない人がいる。4時間、5時間待っているが、考えたりしているから退屈な時間ではない。電車賃1000円超すので、一人くらい撮らないとなあという感じで。(笑)
 でも低くしないですよ、レベルを。このくらいでもいいというんじゃなくて、ずっとさがして、我慢できるのが、自分の狙ってるものの質を決めると思うから、我慢をできる。

 写真はよほどの幸運な人でないと、「写らない」と分かってから写真家になると思います。文章でも詩でもなんでもそうだと思います。
 みなさんはプラスから物事が発展すると思っているかもしれないが、マイナスから発展することが圧倒的に多いのではないか。

 今の教育制度が間違っているのは、最初から頭がいいとか ルックスがいいとか、その基準が定規のように測るから多様性が生れてこない。どっかで人生って「しょうがない」ということが、ものごとをその人なりにマイナスから気付くんだと思います。
 頭良くて美男子で女にもててって最悪でしょ。(笑)

〈百々氏、写真を撮る5分の間に言葉をかわすかと尋ねる。〉

 そんなに聞かないですね、どこからいらっしゃいました、って感じですね
 その人が撮られたいポーズを持っているが、それを壊すのが大変なんですね。踊りを踊ってる人なんて、こういう(とポーズ)。(笑)

 こうしてください、ああしてくださいというんじゃなくて、左足に重心を移して下さいとか。そうするとその人なりの・・ポートレートってのは、人の目とか顔じゃなくて、首の線とか腕の線とか、人をすごく物語るんです。
 モジリアニという絵描きをご存じだろうと思うが、首が長くてやなぎ形で、だけどあそこには確実にその人の個性とか 社会的、たとえば娼婦とか分かるような、ああいう感じです。すごく体の線というのが、その人の生きてきた道を表しているのかもしれない。
 こっちが指示したらそれが崩れるので、撮るときの指示はほとんどしないですね。ちょっと左に寄ってくださいとか。体重移動だけくらいですね。

 写真をおもしろがってもらえるのは、その人の力だと思います。他者のなかに自分を発見するから、写真が息づいてその人が言葉を吐くんだと思います。見飽きないということはそういうことなんだと思います。

 この(浅草寺の)壁以外で人を撮らないわけです。
 親切な人は、こういうおもしろい写真撮るなら大阪新世界とか沖縄に行って撮ったらもっと面白いんじゃないですかというけど、それをすると、「図鑑」になってしまうんです。
 大阪で撮った、ヨーロッパで撮ったと、図鑑になるから。私の煮込み料理はこの鍋一つという感じですね。だからレンズ一本と言うのはOK。 

〈百々)浅草寺の壁は鬼海さんのスタジオですね〉

 まず、行って壁が汚れていたら掃除する。(笑)
 (壁は)5か所くらいある。壁まで歩いてきてもらって、撮って。

 困るのは友達同士できて、一人がおもしろいという場合。そういう場合、本命でない方から撮らないと・・(笑) 「私、先に行くわと」か言われて。(笑) 本命じゃない方から攻めて本命を撮る。いろいろありますね。

 でも圧倒的に断られることはないですね。
 「なんで私みたいなのを撮るの?あっちに晴着を着たお姉さんがいるじゃないの」と。「いやいや、あなたですよ!」と(笑)

 みんな自分を表現したいというのは人間本来のものなんですよね。それぞれ自信があるから、自殺しないで生きているわけですからね。

 サングラスも取ってくださいとはいわない。サングラスもその人のパーソナリティだから。サングラスを取ってください、マスクを取ってくださいとは言わないですね、そのままでけっこうです。
 入れ墨も彼女といっしょにいてちょっと見える、「じゃ見して」と。(笑) 
 筑摩の雑誌にそれを載せたら、「ヤクザを表紙にするのか」とひともんちゃくあったそうです。(笑)

(つづく)