香港「銅鑼湾書店事件」の真相2

 うちのオフィスの隣のビルの空き地にヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)が黒い実をつけている。
 ここはお江戸のど真ん中、御茶ノ水靖国通り沿いの交差点なのだが、しぶとく生えている。むかし子どもがままごと遊びで赤い汁を作るのにこの実が使われた。根も葉も実もヒトには有毒なのだそうだが、実は鳥についばまれ種が運ばれていく。鳥は平気なのか。生き物の生存戦略は不思議に満ちている。

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 アメリカはいま、世界の警察官どころか世界の愚連隊だ。どんどん混乱を拡大するばかりか、世界秩序の担い手をロシア、中国というヤクザに委ねようとしている。
 《トランプ米大統領は23日、トルコがシリア北東部のクルド人勢力に対する攻撃の停止に同意したことを受け、対トルコ制裁を全面解除すると発表した。
ただし連邦議会ではこの直前、国務省のジェフリー・シリア担当特別代表がトルコの侵攻を「悲劇」と形容し、トルコを後ろ盾とする勢力が戦争犯罪に関与した可能性が高いとの見方を示していた。
 トランプ氏はホワイトハウスでの演説で、「人々からは素晴らしい成果だという声が上がっている。我々は良い仕事をして多くの人命を救った」と主張。トルコのエルドアン大統領を称賛し、同氏が近く訪米する予定だと示唆した。
 シリアへの今後の米国の関与については「この長く血で染まった砂での戦いは他の誰かにやらせよう」と述べた。一方で、シリアの石油を守るために一部の米兵の駐留を継続する方針も示した。》(CNN24日)
 トルコのクルド人殺害、虐待を「素晴らしい成果」として称賛し制裁を全面解除するというのだから絶句するしかない。
 記事にある、戦争犯罪に関与したとされる「トルコを後ろ盾とする勢力」とは、トルコから支援を受けてきた「自由シリア軍」を含む反政府武装勢力で、トルコの言いなりになってクルド勢力を攻撃し、非人道的行為に手を染めているのだろう。自由のために戦うとの大義からは遠ざかり、トルコ軍の傘下でクルド人を虐待、虐殺しているとは悲しいかぎりだ。
 それにしてもトランプ大統領北朝鮮やイランに対しても血迷った対応をしそうで、びくびくしている。
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 さて、銅鑼湾書店事件。以下が2015年に中国本土に連行された5人である。
 呂波(書店親会社の出版社マネジャー)2015年10月、広東省深圳市で行方不明に。
 張志平(同出版社マネジャー)2015年10月、に広東省東莞市で行方不明に。
 桂民海(同出版社オーナー)2015年10月、タイの別荘に滞在中、行方不明に。
 林栄基(書店店長)2015年10月、に香港から深圳市に入境後、行方不明に。
 李波(書店経営者)2015年12月30日に香港で行方不明に。
 いったん全員が身柄を解放されたが、桂民海氏は去年1月、上海から北京に向かう列車の中で私服警官に取り押さえられ連行された。今も拘束されているとみられる。

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銅鑼湾書店の内部(2009年)右が林店長

 9月初め、私は台北に店長だった林氏を訪ね事件の真相を聞いた。

Q:どのように身柄を拘束されたのか?
「香港から広東省羅湖に入境するとき、税関で突然、理由も告げられず、逮捕状も示されずに拘束された。寧波に連行され監禁された。移動中は手錠をはめられ、目隠しをされた上に布を頭にかぶせられた。」


Q:刑務所のような施設に監禁されたのか?
「刑務所ではない。ある建物の5階の部屋に監禁された。部屋から出ることはできない。同じ階に同じような部屋が20並んでいた。窓から見える建物は自分がいる建物と同じで、6棟の建物が見えた。」


Q:そこで何をされたのか?
「一日目に家族と弁護士への連絡を放棄するという文書に署名させられた。あの状況ではサインするしかなかった。サインが終わったら、尋問が始まった。毎日3、4回、時には寝る時間もなく尋問された。聞かれたのは私の出身、家庭の背景、書店を開いた経緯、本の作者は誰かなど。また、書店の他の関係者との人間関係、なぜ書店(の所有権)を桂民海に譲ったのかなども聞かれた。さまざまなことを繰り返し聞かれた。尋問の時は尋問者と記録係の2人がきて、彼らと対面して椅子に座らされる。尋問が終わるまで椅子から離れてはならない。」


Q:監禁された部屋の環境は?
「部屋は7m四方の大きさで、机、椅子、ベッドがある。窓には鉄柵がはめてあり柵の間には鉄網が張ってある。室内には常時2人の監視員がいた。監視員は6組いて、2時間ずつ交代で24時間、私の睡眠中も見張っていた。夜中もずっと電灯がついていた。天井には監視カメラが3台設置されていた。」
「入り口にはスピーカーがあって、『しゃべるな』とか『そんなことはするな』とか注意される。」
「トイレは半透明の仕切りがあったが、シャワーには仕切りはなく、監視されながら体を洗った。私を人間として扱っていなかった。」

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林さん手書きの監禁された部屋の見取り図

Q:どんな日課だったのか?
「朝は7時半起床。顔を洗って8時に朝食。12時に昼食。夕食は6時で、毎回、ドアの外に食事が置かれて私が取りに行く。私が体調を崩すと向こうも困るので果物なども出た。夜尋問がないときは9時に就寝で、毎日同じ日課が続いた。」
「部屋にはエアコンがあって寒暖も調整されていた。私の健康には注意していたようだ。」


Q:なぜ、書店の関係者を拘束したと思うか?
「私の場合は中国の政権を転覆させるための書籍を売った、反革命だと糾弾されて、懺悔する文書を書かされた。『禁書』について尋問されたが、それを誰が書いたか、そのもとの情報をどうやって入手したかに関心があったようだ」


Q:懺悔させられるのか?
「罪を認めますという文書と懺悔する文書を書かないといけない。書き終わるとわざわざ北京から2人の人間が来て点検する。私は表現が悪いと怒られた。もし協力的でないならずっと監禁すると言われ、すごくプレッシャーになった。これが一番悲しかった。」


Q:どうやって懺悔文を書いたか?
「はじめは罪を認める文の書き方を知らなかったし、自分が何の罪を犯したのか知らなかった。禁書に関する法律に違反したと言われた。香港から本を郵送しても法律違反には当たらないが、大陸に入れば違反になるという。」
「罪を認めて書けと言われ、言うとおりに書いたが、向こうは満足しなかった。200~300字書いたが足りないと言われ、500字か600字書いた。2回目も、3回目もだめだと言われ、どこがどうダメなのかを聞いても教えてくれなかった。4回目の時、時間の関係でどう書くかを具体的に言われその通りに書いた。罪を認める文書を書いた後、その後に悔い改めの文書を書かされた。」
「その後、書いた文書を読み上げ、その様子を撮影された。動画撮影のときには部屋を出され、別の所に連れていかれた。」


Q:何が辛かったか?
「狭い部屋に24時間ずっと監視されて監禁される。監視員と話すことさえ禁止された。尋問では『一生、お前をここに閉じ込めておくぞ』などと脅されたりもした。自分の状況を外の人は誰も知らない。この恐怖と孤独がいつ終わるかわからない。」


Q:刑務所より大変か?
「あそこと比べれば、刑務所のほうがずっといい。刑務所ならまだ戸外に出られるし、人と喋れる。私はできなかった。監視員に話しかけても返事してくれない。とても孤独だった。監視員でもいいから交流が欲しかった。長く孤独な思いをしているから人と話したくなる。」


Q:私物は?
「全部取り上げられた。服も没収されて囚人服を着せられた。灰色の綿の服とズボンだ。 長期間監禁されるかもしれないと思い、日にちを数えようと、監禁3日目くらいから囚人服のほころびた繊維を抜いて毎日1つの結び目を作った。最終的に結び目は142だった。ほぼ5ヶ月あの部屋にいたことになる。」

(つづく)