日本が認定した難民は去年20人(エジプト5人、シリア5人、アフガニスタン2人など)。難民と認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた者は45人。日本はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などに多額の支援金を出している。でも、「金は出すが難民を受け入れない」と国際的な批判を浴びている。
難民認定も問題なのだが、難民申請が認められない人々への処遇がひどいと、友人のジャーナリスト樫田秀樹さんがFBに書いた。https://www.facebook.com/hideki.kashida/posts/1729525997130803
これは大変なことだと驚き、私もきのう25日、少しでも実態を知ろうと、茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター」を訪れた。ここは、法務省が不法滞在などを理由に強制送還する外国人や、難民認定を申請中の外国人を一時収容するための施設で、同種の入管施設で最大の収容者を抱え、いま約340人(男性のみ)。その7割が難民認定を申請中だ。
今年春、あるニュースが流れた。4月13日、インド人ディパク・クマル(Deepak Kumar)さんが自殺とみられる状態で発見されたのだ。このあと、約70人の収容者が1週間にわたってハンガーストライキを行い、5月14~20日には3人(日系ブラジル人、カメルーン人、トルコ国籍のクルド人)がシャワー室で首をつろうとしたり、洗剤を飲んだりして自殺を図った。これは表に出た「事件」だけで、自殺志望者は多く、実は自殺未遂はもっとあるという。
収容者がここまで追い詰められるのは、いったいなぜなのか。取材ではなく、個人として学びたいと思い、市民団体「牛久入管収容所問題を考える会」の面会活動に同行させてもらった。
面会希望者は、スマホその他、撮影・録音機器は持ち込めない。面会室は刑務所の面会室と同じだった。3畳ほどの小さな部屋がアクリル板で区切られ、握手できないのはもちろん鉛筆や紙もやりとりできない。以前、刑務所の受刑者に会いに行ったことがあるが、その面会室と同じだ。職員の立ち合いがないことだけが違う点だ。
きのう面会したのは2人づつ4回で、計8人。うち4人がトルコ国籍のクルド人だった。クルド人というのは、国を持たない最大の民族といわれ、イラン、トルコ、イラク、シリアなどに少数民族として居住する。クルド人はとても民族意識が強く、いずれの国でも独立運動を警戒され、抑圧されている。
クルド人が難民申請すると、多くの先進国では非常に高い確率で難民認定を受ける。日本でも認定されたクルド人はいるが、トルコ国籍のクルド人となると一人も認定されていない。これは日本がトルコを友好国とみなしていることからきている。わが友好国は、難民が出て来るようなひどい国であるはずがないという。つまり、本人の難民性で判断すべきなのに、日本とその国との関係が優先されているのだ。実際はトルコではクルド人が独立をめざす武装闘争をしてきた歴史があり、政府の対クルド政策は非常に抑圧的で、多くのクルド人が国外に逃れている。
収容されている人たちが口々に訴えるのが、いつまで収容されるのか全く分からないことへの不満と怒りだ。収容期間が1年以上の人が、340人中150人ほどいるという。中にはなんと5年という人がいる。いつ出られるかは入管の裁量で、職員にいつまでいなければならないかと聞いても答えてくれない。
人道的な配慮として「仮放免」という制度があり、不法滞在ではあるがシャバで暮すことを認められる。この「仮放免」にともなう問題はあとで書くが、「仮放免」が認められれとにかく外に出られる。ところが何度、「仮放免」の申請を出しても認定されずに、ただただ時間がすぎていく。「仮放免」認定の判断基準が示されないまま、ただただ時間が過ぎていく。これはきつい。これが2年も3年も続く・・・考えただけでぞっとする。
家族はどうやって暮らしているだろう、子どもが病気になったとの知らせが来たが、大丈夫だろうか・・・そして自分はこのあとどうなっていくのか。悩みが募り、精神的に不安定になり、体調も崩す人が多いという。
日本に家族が住んでいる人も多い。クルド人のMさんは「仮放免」中、自動車事故にあい足の指を2本折った。現場に来た警察に身分を明かしたところ、即収容された。実は「仮放免」中は県を超える移動の自由がない。Mさんの住所は埼玉県、事故にあったのは東京都。で、規則違反!となったのだ。こんな些細な「違反」で収容され、もう1年7か月経つという。
家族面会が許されるのは月1回だけ。家族面会用の部屋は、アクリル版がない。Iさんというクルド人が「きのう家族面会をした」というので、様子を聞いた。
妻と9歳、6歳、1歳の子どもが会いに来た。面会時間はたった30分。「奥さんとハグして、子ども一人ひとり抱きしめているだけで時間が過ぎてしまった」とIさん。6歳の子どもは、「パパがいなくてさびしい、夜寝られない」と泣きながら訴えたそうだ。
(つづく)