憲法を守ろうと闘う天皇

 朝からよく晴れている。きょうは日本列島全体で秋晴れだったという。
 

6年前に亡くなった父の命日で、母のところに行き、線香をあげてご飯を一緒にした。10キロほど離れた母の団地には自転車で行った。気持ちのよいサイクリングだった。途中、何度か道路ぎわにキバナコスモスを見かける。今夜は十三夜だ

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 きのう、竹本信弘さんに本をいただいたお礼の電話をかけた。声を聞くのは3年ぶりくらいか。竹本さん、電話に出るといきなり「本をいただいていながら、お礼もせずにすみません」と謝る。私が贈った『自由に生きていいんだよ』(カンボジアに村を作った森本喜久男さんをインタビューした本)のことだ。気になっていたらしい。
 「森本さんとはいさかいをしたことがあって、それでお礼を言うのをためらってしまって・・・」。あれ、竹本さんも森本さんと接点があったのだっけ?
 話しているうち、なぜバンコクで竹本さんが私のうちに転がり込んできたのかを思いだした。森本さんは当時、バンコクで「バイマイ」(タイ語で草木の意味)という自然染めシルクの店をやりながら、ドンムアン空港近くの自宅をゲストハウスにしていた。竹本さんはそこに泊っていて、森本さんと口論になり、出てしまった。そこで、森本さんと私の共通の友人O君が竹本さんを私の家に連れて来た。そんな記憶がよみがえった。

 竹本さんの本『今上天皇の祈りに学ぶ』
今上天皇に学ぶ「滝田修」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
に話題が移り、なぜ天皇について書こうと思ったのかを尋ねた。2015年の「全国戦没者追悼式」での陛下の式辞と安倍首相の挨拶の落差に疑問をもったことが一つのきっかけだったという。

 「(陛下の)式辞の文章そのものは、ごく短いものでしたが、何度も練り直す作業のなかで仕上げられたのであろうことが察せられ、迫力を感じました。(略)そのご様子から、日本人という存在を正面に見据えて語りかけるというのはこういうことなのだな―と、そのことが身にしみました。
 同時に安倍首相の挨拶もありましたから、両者の違いが際立ち、印象的でした。陛下はご自身の頭でお考えになったことを、ご自身の言葉で語っておられるのに対して、首相のそれは、自分自身というものをあらかじめ埒外に置いたうえで、美辞麗句を並べただけの、ただの独り言でしかない、そういう印象でした」(P33-34)
 かつて暴力による共産主義革命を呼号していた過激派の教祖が、「陛下」という言葉を使うのか、と感慨深いものがあった。

 安倍首相らの動きは憲法と民主主義を破壊するもので、天皇は逆に日本国憲法の精神を守ろうと闘っていると竹本さんは見ているようだ。私にも両者の間に相容れないものがあると見える。安倍首相や日本会議は、きっと今上天皇を「邪魔者」だと思っているだろう。
 週刊ポスト』が、今年3月に第12代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)の天皇批判を報じた。彼はこう言ったという。
  「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊(みたま)はないだろう? 遺骨はあっても。(中略)はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。」 
 さらに皇太子夫妻をも批判して、
 「もし、御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」。「皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」
 この報道の後、小堀氏は退任したが、日本会議などの勢力と今上天皇はじめ皇室との軋轢の大きさを示している。

 竹本さんは、日本の伝統に基づく民主主義を実現すべきだと思い、宮本常一を勉強しているという。私と同じだ。また、今上天皇の思想形成に美智子妃の影響は大きいでしょうねと尋ねると、「それはもう・・・二人は一体ですよ」と竹本さん。美智子妃が師事した神谷美恵子さんについて私が触れると、竹本さん、「浦和で読みました」。浦和って?「浦和拘置所です」。差し入れではなく自分で買って何度も繰り返して読んだという。私とかなり問題意識が重なっている。近く会ってみたい。