タリバンにどう対応するかで世界がパニックになるなか、JVC(日本国際ボランティアセンター)の元代表、谷山博史さんの見方を紹介したい。
谷山さんは1983年にタイで会って以来の友人で、現場を知る者ならではの説得力ある意見を述べている。以下は抜粋。
・・・今回私が一番恐れたのはタリバーンによる報復でした。アメリカは9.11の報復戦争としてこの戦争を始めました。また、和平を選択肢から排除してタリバーンを根絶やしにすることに固執してために戦争がこんなに長引きました。そして
最後には逃げ出しました。根絶やしにするという意図のもとに、害虫のように殺されていったタリバーン兵がどれほどいたか想像してみてください。だから私は報復を恐れました。いや今でも恐れています。
しかしカブールを制圧して以降タリバーンは一貫して報復はしないと表明しています。これは私にはとても意外なことで驚きでもあります。国際社会を意識してのことであることは間違いありませんが、タリバーンが報復を原動力として戦ってきたことを考えると俄かには信じがたいものがあります。しかしこれは希望でありチャンスであることもまた間違いありません。今、言論の自由や行動の自由、女性の人権、就業の自由など民主主義社会で保証されるべき自由と人権が失われることを誰もが恐れています。本当に恐ろしいです。しかし今タリバーンに対する報復戦争を容認してきた私たちが一番タリバーンに求めるべきは、報復を自制することなのです。そのためにはタリバーンを孤立化させてはならないのです。・・・・
考えさせられる。詳しくは彼のフェイスブックを参照してください。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100045364272632
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東京五輪の開催とそこでのコロナ対策をめぐっては、6月下旬の「拝察発言」が大きな波紋を広げた。
6月24日、宮内庁の西村泰彦長官が定例記者会見で
「名誉総裁をお務めになるオリンピック、パラリンピックの開催が、感染拡大につながらないか、ご心配であると拝察している」と発言したのだ。
開催かどうか、国論が二分されている時のこの発言は、天皇の政治への不介入という憲法の原則に抵触するともみなしうる重大事件だった。
当然、永田町をも震撼させたが、菅義偉首相は「長官本人の見解を述べたと理解している」、加藤勝信官房長官は「宮内庁長官自身の考え方を述べられたと承知している」として、あくまで「長官の個人的な推察」に過ぎないと強調。天皇自身の意思であるとの見方を否定した。
はたして真相は?天皇は何を考えているのか?
この事件についてはまず、「皇太子時代から15年間、陛下を見続けてきた」と言う共同通信の大木賢一記者が、「側近に拝察させる」という、その「陛下らしからぬ行動」に衝撃を受け、「陛下の真意」を“拝察”した記事が詳しい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/03ad9db1b07170721849b668cdb341d27b2975fe?page=1
《宮内庁長官が自分の一存で勝手に陛下の思いを語ることは常識的にあり得ない。合意の上で「お気持ち」の発露を実現させたことは疑う余地がない。慎重で遠慮深い陛下が、「長官の口」を使ってまで自らの意思を示すという極めて政治的な行動を取ったと考えるしかなかった。》(記事より)
つまり「拝察発言」は、陛下があえて西村長官にやらせた行動だという。
注目すべきは、『文芸春秋』9月号の友納尚子「天皇陛下の期待に背いた菅首相の『内奏』」だ。この記事もやはり、「拝察発言」は天皇が西村長官と綿密に計算したうえでの行動だったとしたうえで、事件の内情をくわしく追っている。
この記事が事実なら、今の天皇がどんな覚悟、あえていえば「戦略」をもってこれからの天皇という責務を果たそうとしているのかがわかる。とても興味深く読んだ。
友納尚子氏は、今では皇室ジャーナリズムで活躍する記者だが、私はその前から彼女を知っている。今から20年ほど前、友納氏は、田口八重子さん拉致事件など、北朝鮮関連の記事を文春系の雑誌に発表していた。特殊な情報源をもとにした深い闇を抉るような記事に感銘を受けた私は、彼女に連絡し、会っていろいろ話を聞いたことがあった。
記事の要点を紹介すると―
天皇は、コロナ感染の情勢については非常に強い関心をもって自ら精力的に調査していたという。現場の医療、保育、介護分野の人と「オンライン行幸」で情報を得、専門家を御所に招いて話を聞いていた。天皇はとくに新型コロナ対策分科会の尾身茂会長を信頼していて、2回も御所に招いて「進講」させている。
皇后も「日本赤十字」の名誉総裁として、去年11月には天皇とともに日赤医療センターをオンライン視察。その後、日赤関連の3病院をつないで看護師から現場の話を聴き「鮮烈な印象を残された」という。
天皇は東京五輪の名誉総裁で、開会あいさつで祝意を表する立場でもあり、きわめて大きな責任を感じていたようだ。
「拝察発言」までの流れはこうだ。
6月17日、尾身会長「今までよりももう一歩強い、国と自治体のリーダーシップが求められています」と政治家に注文をつける。
6月18日、尾身会長が五輪は「無観客」でと提言。
6月21日、バッハ会長含む五者協議で、「定員の50%内で、最大1万人」の観客を入れる方針が決まる。
6月22日、(4月20日につづいて)2回目の管首相の「内奏」。「内奏」は通常20分だが、この日は異例の1時間に及ぶ。
「陛下はオリンピック開催までに、政府の意気込みよりも、緻密な具体案をご確認されたかったと言います。オリンピックは海外からの人流も多いことから、感染対策についてご質問をされたようですが、管さんからは納得のいく、はっきりした説明は得られなかったようです。内奏を終えて部屋から出て来られた陛下は『なかなか分かってもらえない』と声を漏らされたそうです」(政府関係者)
一方、官邸に戻った菅首相も「なぜか陛下がとても感染対策のご心配をされている」と訝しげな様子だったという。両者とも想像以上の相違を感じたようだ。
この2回目の「内奏」が「拝察発言」へとつながる。
6月24日、西村長官の「拝察」発言
これは長官の個人的発言ではなく、「陛下のご意向を受け、あえて発せられたものであることは明らかであり」、その後天皇は拝察発言をなんら後悔する様子はないという。
今回の発言は「『国民の中に入っていく皇室』という令和スタイルの実践でもありました。批判を受けたり苦難に遭遇したりしながらも、コロナ対策に奔走する医療関係者や尾身氏らの姿に、両陛下は、一人でも多くの命を守るという気概を感じておられたようです。これからも国民の中に入ってふつうの人々の声に耳を傾け、ご自分たちの言葉で国民に返していく、そういう相互理解を深めたいお気持ちのようです」(宮内庁関係者)
―と文春記事は伝えている。
天皇の五輪を前にしたコロナ対策への高い問題意識からすれば、菅首相の「内奏」は完全に落第!で、このままではとんでもないことになる!と天皇は危機感を強めたと考えられる。
菅首相だから、天皇がいくら突っ込んだ質問をしても、「緻密な具体案」など出てくるはずもない。いつものように質問に対して答えにならない答えをしたのだろう。
文春記事によれば、菅首相は天皇、皇室をまったく崇敬していない政治家だそうで、ぶつかるのは必然だったかも。
一方で、天皇は現場からの声を聴き、専門家から情報を得て、いま世の中で何が起きているかをリアルに把握していた。この声を反映する天皇として行動しようとした結果、いわば「確信犯」的に今回の拝察発言事件を起こしたということのようだ。
天皇がこういう「令和スタイル」の行動原理で動くとすれば、今後も憲法規定スレスレの「事件」が起きる可能性がある。
ところで、天皇はたいてい国民の多数意見と同じ見解をお持ちのようだ。とすれば、もしいま「菅内閣を支持しますか」と問われたら・・・答えは決まっているね。