「孤食」で失われるもの

 きのう夕方の母の手術は2時間くらいかかって、心臓の血管の詰まったところにステントを三つ入れたという。朝、見舞うと経過は良好のようで安心した。しかし、人間はえらいことをやる時代になったものである。
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 国会での党首討論。安倍首相が質問に対して正面から答えず、だらだらと「ご飯論法」で時間を空費している。まともな対話がなりたたない状態を斎藤美奈子氏が「国会の液状化」と批判し「国ごと底なし沼に沈んでいくような気分」と嘆く。同感。

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 2017年度版の食育白書によると、一日の全ての食事を1人で取る「孤食」の日が週の半分以上の人が15.3%を占め、6年前に比べ約5ポイント上昇したという。少子高齢化が進む中、独り暮らしの高齢者が増えていることに加え、夫婦だけなどの少人数世帯でも時間が合わず、孤食を余儀なくされていることが背景にあるという。

 京都大学総長でゴリラの研究で知られた山極寿一さんが、「孤食」を深刻に考えていることを思い出した。以下は、関野吉晴さんとの対談『人類は何を失いつつあるのか―ゴリラ社会と先住民社会から見えてきたもの』(東海教育研究所)より。

山極「その、仲間や家族と一緒に食事するということ―「共食」も人間ならではの特徴ですね。野生動物は共食はしません。ゴリラやチンパンジーは近い行動をしますが、基本的には自分が得た食物をその場で自分で消費する。」(P72)(略)

関野「いまのお話を聞いて、社会問題にもなっている「孤食」を連想しました。個人的な食事の個食ではなく、孤独な食事をする人が増えた。核家族化や都市化が進み、コンビニエンスストアファストフード店がいたるところにできて、家族や仲間と食卓を囲む機会、共食する機会が著しく減ってしまいました。」

山極「「孤食」について考えるうえでは、経済的な背景が見逃せません。現代は何につけても経済性、効率性を最優先する時代です。孤食もそこに繋がっている。いままで食事するために十分にあった時間が、どんどん省略化、効率化されて減ってしまっている。コンビニエンスストアファストフード店は、調理する手間を省いて、自由な時間を持つという利便を追い求めた結果、作られたものです。
 もともと食事はひとりで食べる場合もあるかもしれませんが、どの民族でも家族や仲間と同じ場所で同じ物を食べようとする。食事は社会的な道具、言い換えればコミュニケーションの場です。コミュニケーションのために人は集まり、逆に、人が互いに対面して食事をすることでコミュニケーションは成り立ってきた。いわば共食は社会を作る手段だったはずなんですね。」

関野「山極さんは、人類が果たした業績のひとつに「食物の共有」を挙げました。食物の共有と共同保育が、自分は家族や集団とともにあるという「共感力」を育んだ、というお話でしたが、しかしこのまま孤食が進めば、人類が成し遂げた功績のひとつが失われるのではないか―。そんな危惧を抱きます。」

山極「そこをわれわれは、もっと深刻にかんがえなければいけないでしょうね。」(P74-75)

 他人事ではなく、母親などは3食とも孤食の日が多いと思うし、私もけっこう孤食がある。我々は、動物としての「ヒト」であることから逃れられないことをもっと自覚しないと
(つづく)